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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京科学大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京科学大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.62

若者たちと学問のひろがり

2026年、すでに様々なことが起きている。

1月には、米国連邦議会がNASAの予算について、前年度の水準まで回復させる修正案を可決した。トランプ政権は2025年5月、NASAの2026年度予算の大幅削減を発表していた。特に、科学については50%減という未曽有の大削減で、その衝撃は米国のみならず世界中に広がった(参照:第55回コラム「揺れるアメリカの宇宙科学」)。

結局のところ、議会では、このトランプ政権の削減方針に対する懸念や批判が相次ぎ、前年度並みの予算を維持するということで一応の決着をみた。

予算は回復しても、すでに大きなものは失われてしまったといってもいい。ミッションに関していえば、探査車パーサヴィアランスが先陣を切った「火星サンプルリターン計画」は、完全に中止になることが決まってしまった。火星サンプルリターン計画は、NASAとESA(ヨーロッパ宇宙機関)の共同ミッションでもあった。米国は、過去に幾度も、自国の都合で国際ミッションを中止しており、さすがのESAも方針を変えていくだろう。ESAは、昨年10月、東京・日本橋に、アジア初となる常設事務所を開設している。日欧の連携は日増しに強くなっている。

また、NASAジェット推進研究所(JPL)では、数か月に1回のペースで500人規模の職員が一挙に雇止めされる事態になっている。JPL全体で職員は6000人程度であり、数か月に1度、全体の10%程度の職員が雇止めされている。予算が回復したとしても、このような不安定な状況を嫌い、優秀な人材は積極的に米国から離れようとしている。僕の務める大学の研究所にも、新しい優秀な同僚が1月から増えた。NASAのJPLから日本にやって来たのである。

すでに失われたものというのは、信頼であり、人を惹きつける魅力であるかもしれない。

JUICEウィンタースクール

日欧の連携といえば、僕もメンバーである木星系氷衛星探査機JUICEがあり、また水星探査計画ベピ・コロンボがある。JUICEはESAの木星系探査機であり、日本からも観測機器を提供している(参照:第32回コラム「木星系氷衛星探査機—JUICE打ち上げ雑話」)。2023年4月に打ち上げられ、2031年に木星系に到着予定である。今も木星への旅を続けている。2026年9月には、地球の近接を通過し、重力で加速するスイングバイを行う。

2024年9月4日にベピ・コロンボ探査機が撮影した水星。水星をフライバイした際、約3450km先から撮影した。南極周辺のようすも写っている。(提供:ESA/BepiColombo/MTM)

ベピ・コロンボは、2018年に打ち上げられた水星探査機である。日欧2機の探査機がドッキングした形で地球から水星まで航行し、その後、切り離されて、ESAのMPO(水星表面探査機)とJAXAの「みお」(水星磁気圏探査機)になる。すでに、ベピ・コロンボは、水星への近接通過(フライバイ)を行い、そのクレーターだらけの地表面を撮影している。今年2026年の11月に、いよいよ水星軌道に投入される。

これ以外にも、計画中のもので、彗星や恒星間天体をフライバイする「コメット・インターセプター」、火星磁気圏探査「M-MATISSE」なども日欧の連携が進められている。

さて、今年1月末には、JUICEのウィンタースクールが、フランス・レズーシュで行われた。僕も講師として招かれ、大学院生や若手研究者に講義を行ってきた。レズーシュは、スイスとフランスの国境付近の、アルプス・モンブランのふもとのスキーや登山の村である。レズーシュには、レズーシュ物理学校(École de physique des Houches)があり、グルノーブル・アルプ大学が運営している。

ここに100人ほどの若手が世界から集められ、1週間ほど共同で生活しつつ講義を受ける。講師陣は、木星やその衛星たちの物理や地質学、化学に関する世界の専門家たちである。僕の講義の担当は、「木星氷衛星のハビタビリティ(生命生存可能性)」と最初から決まっていた。

若者たちの黄金の道

僕の講義の予定は、ウィンタースクールの最終日に近かったので、それまで参加者と夕食や昼食時に話ができた。まず驚いたのは、その出身の多様性である。参加者の多くは、ヨーロッパの大学の大学院生であるが、出身は中南米、アジア、中東などを含み、ほぼ全世界にまたがっていた。

若者たちにとって、ウィンタースクールとは、知識を吸収する場であると同時に、卒業後や次の働き先を探す場でもある。ビール片手の夜のポスターセッションは、講師として来る教授たちに、自分を雇ってもらうためのアピールの場となる。

これまでは、働き先として最大のキャパシティをほこると同時に、最高水準にあったのはアメリカであった。

JUICEウィンタースクールの集合写真。(提供:関根康人, Olivier Witasse)

数年間アメリカで研鑽を積み、現地でたくましく職を得るか、あるいは故国に職を探して錦を飾るかといったのが、キャリアとしては黄金の道であった。アメリカにいる間で、いかに国際的な研究ネットワークに入ることができるかが、その後の飛躍を左右した。

しかし、ここ2、3年でアメリカは必ずしもそういう場でなくなっている。キャリアとしての道も、皆が皆、正解と呼ぶべきものを模索しているようにも思える。つまり、黄金の道がなくなったようである。アメリカでの口が減少したからといって、ヨーロッパで増えるわけではなく、決まった牌を奪い合う競争として、単にこれまでより激しい状況になっているのかもしれない。

そういった不安を、直接的でないにせよ、言葉の端々から感じた。

各講師は、その講義の冒頭、自分は何者か、どういうキャリアを経てきたのか、なぜこの場にいるのかを2、3分で話すことになっていた。

講師たちの多くは黄金の道を歩んで今の地位にいる。僕は、自分の講義の自己紹介で、何を話したものかと思っていたが、若者たちとの会話で話すべきことが定まった。

僕の自己紹介

さて、講義の自己紹介では、僕は自分のことを以下のように語った。

僕が博士号を取ったのは、今から20年前の2006年である。2004年から2005年までアメリカのNASAエイムズ研究所で、博士論文のテーマである土星衛星タイタンの大気の研究をしていた。博士取得後も、当然、アメリカで研究を続けたかった。2005年に探査機カッシーニが本格的に始動し、観測データがどんどん来るだろう。

しかし、NASAへの研究員の応募も、海外の研究員の応募も、日本の海外滞在研究員の応募も、どれも全く採用されなかった。2006年に僕が唯一採用されたのは、日本の地質学のポストだった。20億年前の地球に起きたといわれる全球凍結の証拠を探る地質調査と海洋化学の仕事だった。つまり、黄金の道から外れることになった。

それでも始めた研究はすこぶる楽しかった。それは、僕の根源的な問いが「地球以外に生命は存在するのか、なぜ地球は生命あふれる惑星になったのか」というものであったから。その点においては、タイタンも、全球凍結も、同じだった。

ほとんど探査のことは忘れて研究をしていた2009年、探査機カッシーニが土星衛星エンセラダスの地下に海があることを明らかにしたという発表があった。探査機が着く前には誰一人注目していなかった、小さな氷の衛星に、である。

僕は、海洋があるのならばそこには熱があるに違いない、ひょっとしたら海底には熱水噴出孔があるのかもしれないと直感し、実験を始めた。それが可能だったのは、それまで数年間、地質調査と海洋化学の研究をやってきたからであった。惑星と海洋化学というものを、真正面から合わせた研究をやっている人は、当時、黄金の道を歩いている人たちには誰もいなかった。そして、2015年には、熱水噴出孔の証拠を、実際にエンセラダスの海水中から初めて見つけることができた。そういったことがあり、僕は今この場にいるのだと説明した。

2008年、全球凍結時代の地層を求め、フィンランドを調査。(提供:関根康人)

You can't connect the dots looking forward.You can only connect them looking backwards.

将来を予測して点と点を結びつけることはできない。点と点を結び付けられるのは、過去を振り返ったときだけだ—これは、アップル創業者のスティーブ・ジョブズの言葉である。

きっとそうなのだろう。僕も、地質調査や海洋化学を始めた2006年に、これを惑星探査と結び付けようと思ったわけではない。微塵も考えなかった。約10年後、偶然にも、黄金の道を歩めなかったおかげで、それらが結びついた。2006年当時、エンセラダスのような小さな衛星に海があるなど、誰も信じなかったし、熱水噴出孔などは常識的に論外だった。

土星衛星エンセラダスの地下海と熱水噴出孔の想像図。(提供:ESA)

JUICEでも、ベピ・コロンボでも、それらが未来に成すであろう本当の新しい研究は、おそらく今はまだ離れた点と点でしかないだろう。ウィンタースクールや研究会をやっても、そういったものは結ばれない。黄金の道には転がっていないのかもしれない。今、点であるものがどう結ばれるかは、誰も予測できない。

そうであるならば、科学ができることは、どう結ばれるかわからない点をなるべく広く多様に持ち、それらを許容することであろう。

同時に、若者たちは、大きな問いを持つべきであろう。様々な事情あるいは運で、自分が思い抱く黄金の道を歩めなくなったとしても、それを自分が許容できるように。あるいは、自分が考える道を歩めないときほど、それはチャンスかもしれない。その道が、今の道から離れているほど、両者が結ばれたときには、本人の個性となり、強みとなるのだから。

そう思えば、冒頭のアメリカの事情も、何ら致命的なことではなく、遥か将来から振り返ってみれば、より広い点と点が結びつくための布石であるのかもしれない。今のような不安定な情勢だからこそ、若者たちの未来と学問のもつ広がりに期待せずにはいられない。

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