Vol.65
オルタナティブな火星生命?
Follow the Water-水を追え。
NASAは、これを2000年代初頭の合言葉としていた。「液体の水をもつ天体を、我々は探すのだ」という明確な意思表示である。現在、過去を問わず、水の証拠、水の痕跡を探すことが、NASAの太陽系探査全体を貫く基軸であったといえる。言うまでもなく、水を探すのは、それを必要とする生命を地球外に探す第一歩となる。
このFollow the Waterという言葉は、今やほとんど聞かれなくなった。ある種、この目的は完了したともいっていい。火星、さらには木星や土星の氷衛星、冥王星などの氷准惑星に、現在や過去に液体の水が存在していた証拠を、2000年代初頭以降、科学者たちは積み上げてきた。太陽系の中でどの天体が水をもっているのか、天体のどこにあるのか。まるで“駅周辺のおいしいごはん屋さんマップ”のように、“太陽系の水惑星マップ”を、僕らはすでに手にしている。
代わって、数年前から言われ出したのが、Follow the Carbon、つまり、有機物を追え、という合言葉である。水のある場に、同時に存在するかもしれない有機物を探し、その正体を明らかにするというものである。より生命に迫ろうとするスローガンである。
その結果、火星では太古の湖の底の堆積物に有機物が見つかり、土星の氷衛星エンセラダスにもその地下海水のなかに有機物が見つかっている(参照:第59回コラム「衛星エンセラダス、多彩な有機物の発見」)。時代の主役は、確実に水から有機物へと移っているといえる。
今回取り上げるのは、火星探査車キュリオシティが、これまでにない種類の有機物を発見したというニュースである。先月の終わり(2026年4月)の論文発表であり、海外メディアでも取り上げられた。これまでにない種類の有機物とは何なのか、なぜ今それが見つかったのか、さらに有機物から生命にどう迫っていくのか。このあたりの話を今回はしたい。
キュリオシティとゲールクレーター
キュリオシティは、2012年に火星に着陸し、37億年前に湖をたたえていたゲールクレーターに着陸している。ゲールクレーターの直径は、約180キロメートル。当時は、このクレーターの内部を全て覆うほどの巨大な湖が存在していた。
現在のゲールクレーターには、文字通り山のような泥や砂からなる堆積物が堆積している。湖に注ぎ込む河川が、火星の大地を浸食して大量の泥や砂を運んできたのである。それが今、うず高く、山となり積もっている。キュリオシティは、この堆積物の山を登り、小さなドリルで体積物の泥や砂を採取して、その場で分析を繰り返している。
このゲールクレーターの堆積物に、キュリオシティが複雑な有機物を初めて見つけたのは2018年のことである。地球では湖の泥や砂に含まれる有機物はほぼ100%生命由来である。湖に生きていたプランクトンや微生物の遺骸が湖底に沈み、泥や砂と一緒に埋没して保存されるのである。
面白いのは、ゲールクレーターで見つかった有機物の化学組成が、地球の生命とも、隕石の有機物とも違う異様なものだったことである。地球の生命は、炭素に対して、窒素が15%程度含まれ、さらにリンが1%程度含まれる。窒素やリンは、DNAやタンパク質、細胞膜といった巨大分子を構成する材料の分子である核酸塩基、アミノ酸、リン脂質に多く含まれている。
火星ゲールクレーターで見つかった有機物には、炭素に対して、硫黄が10%程度含まれ、窒素やリンはほとんど入っていなかった。この有機物が生命かどうかはわからないが、火星に生命がいるとすれば、それは地球生命とは元素レベルで異なったものかもしれないと科学者たちは想像をかき立てた。
有機物を抽出する
今年4月にゲールクレーターで見つかった有機物が何かをお話しする前に、これまでキュリオシティがどのようにして有機物を検出しているのかを説明したい。
端的にいえば、キュリオシティは採取した堆積物をそのままオーブンで数百℃の高温に加熱し、出てきたガスを分析しているのである。有機物とは、炭素や窒素や硫黄や水素などの原子が、手と手を握り合ってつながっている状態にある。高温では原子の動きが激しくなり、握っていた手と手が暴力的に離れてバラバラの状態になってしまう。バラバラになった有機物はガスとなり、堆積物から遊離してキュリオシティが搭載するガス分析装置で分析される。つまり、この方法では有機物の有無を比較的簡便に調べられるのであるが、その一方でバラバラのガスになった有機物が、かつてどのようにお互いに手と手を握っていたのか、その元々の構造の情報が失われるのである。
今年4月の発見の新しい点が何かといえば、これまでの高温に加熱するという分析方法を取らなかった点にある。ではどうしたかといえば、液体によって堆積物に複雑な有機物を部分的に溶かし出したのである。
この液体を使った抽出では、複雑で巨大な有機物のある特定の結合だけが切り離され、やや小ぶりな分子群に分けられていく。例えるなら、手と手を握りあっている原子たちに平和的に話をして、2、3の手だけ緩やかに離してもらい、複数のグループ集団にわかれてもらうようなものだといえる。当然、元々の構造という意味では多くの情報が各グループに残る。
実際、地球上のDNAやタンパク質の化学分析では、これら巨大分子を液体に泳がせて酵素の手助けを借りながら、手を緩やかに離してもらうことで、DNAを構成する核酸塩基や、タンパク質を構成するアミノ酸といったグループにわかれてもらう。もっと身近な例でいえば、焙煎したコーヒー豆の粉末に暖かいお湯を注ぐと、含まれていたカフェインなどが溶脱して出てくる。これによって、僕らは巨大分子である有機物の正体に一歩迫ることができるのである。
カップ式自販機とコーヒー豆
さて、キュリオシティは初めて、この液体による有機物の抽出を火星上で行った。元々、これを行う計画で抽出用の液体と小型ビーカーも搭載されていた。とはいえ、人間が実験室で行うような作業がキュリオシティにできるわけではない。装置は採取された堆積物の粉末を自動でビーカーに落とし、そこに液体を自動で投入するというもので、まるでコーヒーを自動で煎れてくれるカップ式自販機である。
その結果、どんな分子が複雑な有機物から抽出されたのか。多様な有機物が抽出されたがポイントは2つある。
1つは、ベンゾチオフェンと呼ばれる炭素からなる2つの環の中に硫黄を含むような分子である。化学者でもなければ、これに馴染みのある人はいないであろう。
しかし、このベンゾチオフェン、化学構造をみると面白いことに気が付く。地球生命のDNAを構成する核酸塩基、あるいはコーヒー豆から抽出されるカフェインによく似ているのである。ただし、核酸塩基やカフェイン含まれる窒素の代わりに硫黄が入っている。カップ式自販機のような装置で抽出されたものは、奇しくもカフェインに似た構造の分子であった。
もう1つは、窒素を含む環状の化合物である。具体的な化合物名でなく、どうも歯切れが悪いのは、ベンゾチオフェンと違って抽出量が少ないためにまだ化合物名を完全特定にするには至っていないためである。しかし、その化合物の有力な候補分子が2、3挙げられており、そのなかにジメチルインドールがある。このジメチルインドールは、構造的により核酸塩基やカフェインに似たもので、2つの炭素の環の中に今度は窒素が含まれているのである。実際、ジメチルインドールは、核酸塩基を化学実験で作る上での前駆体でもある。
オルタナティブな生命
このように、高温の加熱での分析の結果を観ると、元素レベルで大きく違っているように思えた地球と火星の有機物であるが、その化学構造は共通点があるかもしれない。火星の複雑な有機物の構造には、地球生命が使う分子に似た構造をもつものが含まれているのではないか。それが今回の新しい発見である。
さて、ここで想像力の翼を広げることを許されたい。キュリオシティが抽出した核酸塩基に似たベンゾチオフェンやジメチルインドールからDNAやRNAのような巨大分子を作ったときに、果たしてDNAやRNAに似た機能を持つのかということを考えてみたいのである。つまり、地球生命が有する機能を、地球生命は使わない似て非なる分子で代行することができないかということである。
化学構造が似ていれば、物理化学的な性質も似ている。これを思えば、僕はそのような機能を持つことも可能ではないかと楽観的に思っている。実験的な証明はまだない。が、そういった地球生命とは別の生命、オルタナティブな生命が理論的にも実験的にも可能かを解明していくのは面白そうに思える。
オルタナティブをなぜ考える必要があるのか。オルタナティブ・ヒストリー、オルタナティブ・デザイン。生命に限らず、今とは別の歴史やデザインがあったらどうだろうと考える試みはある。たとえば、自動車にせよ、パソコンのキーボードにせよ、あらゆるもののデザインはそれが唯一の最適状態ではなく、単に初期のデザインがそうだったから今でもそれを踏襲しているに過ぎない。
オルタナティブな何かを考えるときに見えてくるのは、そのものの本質である。歴史学においても、デザイン学においても、現実でないから、実用性がないからという理由で、オルタナティブが研究や活動の対象となることは稀に思われる。しかし、ことオルタナティブな生命に関していえば、火星の例をみても、現実的な研究の対象として考慮されてもよいように思う。オルタナティブな生命を考えることで、地球生命との共通点、最大公約数とも呼べる領域に「生命とは何か」という本質も眠っているかもしれない。
- ※
本文中における会社名、商品名は、各社の商標または登録商標です。



