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読む宇宙旅行

ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

天文学者は地上最強の生物?—天文台マダムに聞く

天文台マダムこと、天文ライターの梅本真由美さん。長野県上田市生まれ。短大卒業後NTT勤務、広告代理店出向を経て、天文学者の妻に。現在、慶應義塾大学文学部で学ぶ大学生でもある。写真は旧岡山天体物理観測所の188cm望遠鏡内部に潜入取材中の一コマ。(提供:梅本真由美)

天文学の大発見が止まらない。世界中の電波望遠鏡が協力して、世界で初めてブラックホールの撮影に成功したり、宇宙の始まりに迫ったり。100年前後の寿命しかない人間が、138億年前の宇宙の始まりの頃を観測できるなんて、天文学者ってどんな頭脳をしているの?と尊敬の念を抱くとともに、その生態?に興味津々。天文学者を語るなら、この人に聞くしかない!

それが「天文台マダム」こと梅本真由美さんだ。約1年前に国立天文台野辺山宇宙電波観測所の取材でお話を伺った、梅本智文博士の奥様で、現在は天文ライターとして活躍中。月刊星ナビ「天文台マダムがゆく」、国立天文台水沢VERAウェブサイトで「天文台マダムVERAに夢中!」など読者目線の楽しくわかりやすい連載や記事を執筆されている。(実は2017年11月、アルマ望遠鏡取材で山頂取材に挑戦し涙をのんだ同志でもある。以下、マダムと呼ばせて頂く)

マダムは「天文台マダム日記」というウェブサイト(欄外リンク参照)を2002年にオープン。そこで綴られる天文学者の素顔(=生態)や国立天文台の裏情報などが捧腹絶倒で大人気に(5年間で23万ヒット超え)。「影の天文台ホームページ」とも呼ばれたとか。改めて、天文学者ってどんな人?そして天文学の魅力について、マダムに聞きました。

一酸化炭素がキューピッドー天文学者との出会い

天文学者さんと結婚するに至った経緯から教えて下さい。
マダム:

長野県上田市で生まれて、子供の頃から星を見るのが好きでした。小学校1年生の時に読んだ本で、星には実は一生があって、私たちと同じように生まれて成長し、死ぬことを知りました。それも時間も大きさも桁外れのスケールで。そのダイナミックな営みに感動したんです。1994年、宇宙のことが知りたくて、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の一般公開に一人で出かけました。色々な展示を見て聞いて回った中で、一番印象に残ったのが夫の説明だったんです。

お2人の出会いの場、国立天文台野辺山宇宙電波観測所。梅本博士はお休みの日でも、風が強いと「よんごー(45m望遠鏡の事)大丈夫かな」とまるで自分の子供のように心配しているそう。
どんなお話だったんですか?
マダム:

宇宙にある一酸化炭素が、電波を出すしくみです。

え、星でなく一酸化炭素?超マニアックですね!
マダム:

説明がわかりやすく、知らなかったことを理解できた喜びがあって、感動して拍手しました。あとで夫に聞いたら、説明して拍手してもらったのは初めてだったそうです。

一酸化炭素で感動できるマダムも凄いですよ。そこからお付き合いが?
マダム:

いえ、その時は名前も知らずに。後日、たまたまテレビの放送大学に出ていた彼を見て名前をメモし、2年後の公開日にまた話を聞きに行ったんです。「梅本先生いますか?」と。再会してまた説明を聞けただけでなく、「せっかく訪ねてきてくれたから」と野辺山の観測所の中を案内してくれました。お昼ご飯の時間をつぶして。そこでお礼状を書いたんです。メールアドレスと共に。当時メアドをもっている民間企業の人は珍しく興味をもったようで、返信をくれました。それからお付き合いが始まって、3ヶ月後には結婚しようと決めました。だから、一酸化炭素が私たちのキューピッドですね。

結婚式の披露宴で。「ウェディングケーキは特注。夫が設計図というか星図を書いて、一等星は大きく、オリオン大星雲はピンク色にして頂きました」(提供:梅本真由美)
一酸化炭素がキューピッドですか!さすが天文夫婦です。ところでなぜ「天文台マダム日記」というウェブサイトを作ったんですか?
マダム:

実は小5の時にコメットハンターの関勉さんの「星空の狩人」という本を読んで、その本に何度も出てくる東京三鷹市の国立天文台(当時は東京天文台)が脳に刻み込まれていました。いつか東京に行ったら訪ねようと心に決めていた場所の官舎で、新婚生活を始めることになったのです。嬉しくて毎日散歩していました。そしたら面白いものがあまりにも多くて。

たとえば?
マダム:

天文施設はもちろん、古墳や旧石器時代の遺跡、官舎は大正から昭和に作られた建物だし、井戸があったり家の裏に東京に9つしかない(測量用の)一等三角点があったり。普段は見られないものがいっぱいあって、どこにも紹介されていない。「これは世界遺産だ!」と思って伝えたいと。

官舎は雨漏りするしヤモリやキジも出ると書かれていましたね。なぜ「天文台マダム」という名前に?
マダム:

キジと目が合って微笑みかけたら逃げて行きましたよ(笑)。なぜマダム?いい質問ですね!タイトルは大事ですよね。キャッチ―にしようと、天文台新妻日記とか若妻日記とか色々考えました(笑)。でもそれだと10年後は使えない。一生使えるものをと考えて「マダム」にしたんです。

「お公家さん」「野武士」・・天文学者の様々なタイプ

マダムって想像をかきたてるワードですよね(笑)。ご主人の反応は?
マダム:

最初はネタにされるのは嫌だなと言ってましたが、記事をアップすると誰よりも熱心に読んでましたね(笑)。天文台マダム日記で伝えたいことはもう一つあって。夫と暮らし始めて天文学者は夜、星を見ていつも勉強して、真面目で浮世離れしてるというステレオタイプのイメージとは全然違う、ということがわかったんです。

その実像とは?
マダム:

普通の人です。休みの日はごろごろしていて、四六時中勉強しているわけではないし、気難しいわけでもない。そもそもあまり仕事の話を家ではしない。でもその生態が面白いんです。私は文系出身で周りに理系の人がいないせいか、反応がいちいち面白くてカワイイ。

カワイイ?
マダム:

たとえば壁が大理石でできていると、「化石がある!」と壁にへばりついて探し始める。鉱物は私にはただの石ころだけど、彼には大好物に見えるらしく、そういう反応がいちいち新鮮で伝えたいと。ところで天文学者と一口に言っても、観測する波長帯とかでタイプが違うって知ってますか?

大理石の壁に化石を探し出す天文学者。(提供:梅本真由美)
へぇ、例えば?
マダム:

光(可視光)赤外線で観測する天文学者は「お公家さん」。お洒落で学会発表の時はスーツを着る。先生がいてお弟子さんがいて、というように序列がわりとはっきりしています。それに対して電波天文学者は「野武士」。エライ先生でも学生さんでも対等に、互いにさんづけで呼び合う。学会発表はチノパンにポロシャツなど普段着です。そんな観測天文学者に対して理論天文学者はアナーキー。一人一人の個性が際立っていて、学会発表はジーパン(注:人によります。by 梅本博士)。

同じ天文学者でもかなり違うものですね。でも昨年、梅本先生に取材した際、野辺山で遭難しかかったと聞きました。過酷な現場で戦っておられることに驚きました。
マダム:

長野県の野辺山や臼田で一人で夜中の運用をしていたこともありますからね。車が積雪でスタックしても脱出できるように、ダウンジャケットと皮の手袋、ガラス窓を割るための道具、スコップは必需品です。携帯電話も通じないエリアがあるので本当に命がけですよ。頭脳労働と思われがちですが、観測天文学者にはかなり体力も必要ですね。

一緒に訪れたアルマ望遠鏡も、すばる望遠鏡も空気の薄い過酷な場所ですものね。
マダム:

草木も生えない過酷な場所で確認できる生き物は、天文学者だけです(笑)。野辺山に通う夫の体は赤血球が平均をはるかに上回って健康診断で「異常に多い」と言われたんです。野辺山の標高は1350mで気圧が地上の8割ぐらい。検査結果を見たお医者様に「野辺山だったら仕方がないですね」と言われてました。

天文学者と結婚するには?

旧岡山天体物理観測所で。仲良しの2人。(提供:梅本真由美)
梅本博士は毎年マダムのお誕生日にカサブランカの花束を贈られてますよね。タフでロマンチストで、しかもかわいくて最高じゃないですか。天文学者と結婚するにはどうしたらいいのでしょう?
マダム:

私のようなパターンはあまり多くないですね。面白いのは天文学者の奥様は音楽家が多いという点です。クラシック音楽家、ピアニスト、声楽家も。ちなみに私もピアノやロックバンドで演奏し、プラネタリウムの主題歌を何曲か作曲しています。ある天文学者さんの奥様はピアノの先生で、お二人は大学時代のオーケストラ部で出会ったそうですよ。だから音楽を極めるのも天文学者と出会う一つの方法かも!

なぜ天文学者と音楽家は相性がいいのでしょう?
マダム:

マンガ「のだめカンタービレ」からの引用なんですが、「神の作った世界の調和を知るための学問が、天文学、幾何学、数論、音楽だったのだ」という一節があって、天文学と音楽が同列に並べられています。天文学も音楽も調和の真理を研究する学問だったんですよね。

なるほど。天文学者も音楽家も、教養があり裕福な家庭出身というイメージがありますが・・・。
マダム:

うちの夫はレアなケースかもしれません。九州の出身で実家は漁師です。日本の国の公教育の平等があったから天文学者になれたと言っています。ヨーロッパに行って実家が漁師だというとすごくびっくりされると。両親は本当は漁師を継いでほしかったみたいだけど、夫は泳げず漁師の才能がなかった。九州から天文学部のある東北大学に、苦労しながらも進学させてくれた親には頭が下がると夫は言っています。

天文ライターとして伝えたいこと—命の尊さ

天文台マダム日記のウェブサイトを作られたときは名前も顔も出さなかったマダムが、途中から天文ライターとして積極的に活動されるようになりました。何かきっかけがありましたか?
マダム:

ウェブを作った2002年は子供も小さく、ご近所に迷惑をかけてもいけないと思って名前も顔も出さなかったんです。顔を出したのは2007年。夫と一緒に出た天文関係のイベントがきっかけですが緊張しましたね(笑)。その後、ウェブを見た朝日新聞から連載のオファーを頂いて、名前を出して記事を書くようになりました。それまでは天文学ど真ん中は書かなかったのです。

なぜですか?
マダム:

まず天文学の知識がないので書けない。夫の領域だから踏み込んではいけないという敬意もありました。でも、朝日新聞の連載を担当しているとき、子供たちの自殺のニュースを見たんです。私は138億年という気が遠くなるほどの時間と、物質から星、惑星へと奇跡のような宇宙の進化を経て生きていることを知ることで、命が尊く、自分という存在も他人の命も大切にしようと思えたんです。だから命を絶ってしまおうとする子供たちに、天文学のアプローチから命の尊さをどうしても伝えたかった。だから朝日新聞の連載の最終回に、初めて宇宙と命の関係を書きました。

そこから天文ライターとして天文学の取材・執筆を始めたんですね?
マダム:

伝えるためには勉強しないといけないと思って天文宇宙検定の2級をとり、国立天文台のガイドボランティアの講座を受けて認定され、星のソムリエの認定も受けました。

すごく真面目ですね。頭が下がります。
マダム:

いえいえ、一通り、天文学の話ができる基礎体力をつけなければと思ったんです。

ところで天文雑誌星ナビでは、油井亀美也宇宙飛行士の特集記事を執筆されていますね!
マダム:

天文学者にはインタビューしてきましたが宇宙飛行士は初めてでした。特に私は戦闘機を見るのが大好きで、自衛隊で戦闘機に乗っていた油井飛行士が大好きだったんです。取材して、実際に宇宙に行って宇宙から星を見た油井さんでないと語れない言葉がありました。

読み応えのある記事でしたね。これからどんなテーマを取材していきたいですか?
マダム:

宇宙のダイナミックな営みの面白さと、今、自分が存在する意味、そのつながりを伝えたいという気持ちは変わりません。読者と同じ立場、目線で伝えていきたいです。

天文台マダムの油井飛行士インタビューと油井飛行士が撮影した宇宙絶景写真が掲載されている雑誌を手に。

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