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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

日本のブラックホール観測の聖地、
国立天文台水沢がアツい。

いきなり、顔はめパネルから失礼します!パネル左側にいらっしゃるのは、2019年4月に史上初のブラックホール撮影成功を発表した国際チーム日本代表、国立天文台・本間希樹教授。「一緒に写真撮ってもらえませんか?パネルで・・」と恐る恐るお願いしたところ、快諾して頂いたのだ。ここは、岩手県奥州市にある国立天文台水沢VLBI※1観測所。本間教授は2015年からこの観測所の所長を務めておられ、顔はめパネルも本間所長の発案だそう。

「ブラックホール撮影成功の記者発表のあと、職員から観測所内にブラックホールのパネルを立てようという意見が出て、『それなら真ん中くりぬいたら?』と余計な一言を言ってしまった(笑)」。言い出しっぺの本間所長がまず顔はめ写真を撮りツイートしたところ、なんと1万3千いいね!で瞬く間に拡散。5月の連休に来場者が殺到したとか。今や本間所長はMr.ブラックホール。ブラックホール広報マンと言っても過言ではない。頭脳明晰であるのはもちろん、発想が柔軟で行動力もぴか一だ。

実はここ水沢は、日本のブラックホール観測・研究の聖地である。しかし、なぜ水沢なのか。どんなところでふだんは何をやっているのだろう。2017年にアルマ望遠鏡、2018年に長野県野辺山の45m電波望遠鏡と取材を重ねてきたDSPACEスタッフは2019年8月24日、国立天文台水沢キャンパスを目指した。特別公開「いわて銀河フェスタ2019」の取材が目的だ。

  • ※1

    VLBI:Very Long Baseline Interferometry(超長基線干渉計)

ブラックホールを食べる!菓子組合が新作スイーツを開発

「いわて銀河フェスタ2019」は国立天文台水沢VLBI観測所と奥州市などが行うイベント。まず私たちを待ち受けていたのは、「食べるブラックホール」。水沢菓子組合7社による、ブラックホールをテーマにした新作スイーツのお披露目だった。

新作ブラックホールスイーツを手にする本間希樹国立天文台水沢VLBI観測所長(右)と千葉亮水沢菓子組合長(左)。

甘い物には目がないという本間所長が「ブラックホールをイメージしたお菓子があったら面白いんじゃないか」と提案。お菓子屋さん側も「ブラックホールの写真を見た時から、やる気満々でした」と意気投合。こうして極秘のプロジェクトが始まった。水沢菓子組合の千葉亮組合長によると「みんなが同じものにならないように、話をしながら進めた」とのこと。約2ヶ月間の開発期間を経て発表されたの商品は、竹炭を入れて黒くした皮の中にみかんの餡を入れた焼き菓子「宙のおやつ」、黒豆と農業高校の生徒が作った味噌を加えたマドレーヌ「味噌ブラックZ」をはじめタルトやラスク、おせんべい等それぞれに工夫が凝らされている。

試食した本間所長は「どれも甲乙つけがたいオリジナルな味。ブラックホールと聞くと難しい印象を受けるかもしれないが、食べ物は身近に楽しめる。奥州市がお菓子をきっかけに、天文台がある町として盛り上がってもらえたら」と期待する。

ブラックホールを食す本間所長(右)を真剣な表情で見つめる水沢菓子組合の皆さん。
個人的お気に入りは「カリカリブラックホール」(右下)。ぱちぱちはじけて、ブラックホールに物質が吸い込まれる状況が口の中で再現されるよう!

20mアンテナへGo!頭でっかちの望遠鏡の心臓部に何が?

お菓子を堪能したところで、いよいよ施設公開へ。水沢観測所でひときわ目につくのが、でんと空を仰ぐ電波望遠鏡だ。アンテナの直径20m、高さ23m、重さ380トンもある大きな望遠鏡にこの日は上ることができるとあって、20mアンテナツアーの整理券は大人気。

ヘルメットをかぶって階段をどんどん上っていく。
20mアンテナに上る途中からの水沢観測所の眺め。鼓笛隊の皆さんが見える。写真左側の白い平屋の建物がVERA観測棟。緑に囲まれているが、遠くには住宅街も見える。JR水沢駅から徒歩約20分。住宅街にある観測所なのだ。
パラボラアンテナのすぐ下に部屋が。ドアの向こうに何が?
上部機器室と書かれた部屋の小さなドアを開けると・・・。ターンテーブルらしきものが見える。
小さなドアをくぐり中に入ると、ターンテーブルに乗っていたのは、それぞれ6本足に支えられた二つの構造体。6本足は精密なロボット機構を備え、上部の白い台の位置を自在に動かせる。2天体を同時観測可能な「2ビーム視野回転装置」で、世界に例がない。
構造体の一番上には銀色の円錐ホーンがあり、アンテナで集めた電波を受信機に導く。「普通、電波望遠鏡の受信機は下に置きます。(望遠鏡てっぺんに受信機があるのは)この望遠鏡特有」(上野祐治さん)。受信機やホーンは、上野さんが指さす反対側(写真右側)の構造体上にも置かれている。

電波望遠鏡と一口に言っても、それぞれ個性がある。たとえば野辺山45m望遠鏡の受信機は一番下に置かれ、アンテナで集めた電波を鏡で反射させて受信機に導いていた。その方が様々な観測装置を置けるからだ。ところがこの20m望遠鏡は、アンテナのすぐ下に受信機を置くための部屋を大きくとっている。

受信機は構造体上部の台に設置され、台から伸びる6本のロボットアームを三次元的に伸び縮みさせることで、観測天体に照準を合わせることが可能。「これが目玉であり、最も苦労したところ。6本足を精密に動かして受信機を好きな場所に動かせる」(本間所長)。このシステムによって2天体を同時観測する「2ビーム観測」を世界で初めて実現。大気のゆらぎを取り除き、天体までの距離を精密に観測できる。

実はこの望遠鏡と全く同じ電波望遠鏡が、水沢を含む日本の4ヶ所に設置されている。小笠原(東京都)、入来(鹿児島県)、石垣島(沖縄県)、そして水沢。4台で同時 観測することで直径約2300kmもの巨大アンテナの役割を果たす。4台による観測プロジェクトはVERA※2と呼ばれ、世界一の精度で天の川銀河の精密な地図作りが実施されている。

さらにVERAの4台に加え、韓国や中国との国際協力によって21ヶ所の電波望遠鏡で最大直径5100kmの巨大電波望遠鏡に相当するネットワークを構築(東アジアVLBI観測網)。視力約30万でブラックホールから噴出するジェットなどの観測を実施中だ。

電波望遠鏡を組み合わせることによって視力を向上させ、より遠くの天体を観測する手法をVLBIと呼ぶ。水沢では約20年前から独自のVLBI技術を築き、研究成果をあげ、世界にその存在感を示してきた。史上初のブラックホール撮影も、VLBIによって世界6ヶ所8台の望遠鏡で地球サイズの電波望遠鏡を実現し観測に成功した。この人類初の偉業達成に水沢がVERAで培ってきた技術力・研究力が多大な貢献をしたのである。

  • ※2

    VERA:VLBI Exploration of Radio Astrometry(銀河系の3次元立体地図を作るプロジェクト)

そもそもなぜ、水沢にアンテナが作られたのか?120年前にルーツが

そもそもなぜ、奥州市水沢に望遠鏡が作られたのだろうか。話は120年前にさかのぼる。水沢キャンパスのど真ん中にある小さな小屋に、そのルーツはあった。

120年前の1899年、木村榮緯度観測所初代所長がこの小屋で観測を始めたのが、国立天文台水沢のルーツ。緯度観測所時代からここで働く石川利昭さんが解説して下さった。

眼視天頂儀室と呼ばれるこの小屋で1899年(明治32年)から、一人の研究者が毎夜、観測を続けていた。19世紀末、地球の自転軸が変動し緯度が変化することが発見された。この現象を詳しく研究しようと、北緯39度8分に位置する世界6観測所で共同緯度観測が行われることになり、水沢が観測所の一つに選ばれたのだ。明治維新から約30年後の日本で、欧米諸国と対等に行う国際観測事業への参加は画期的だったに違いない。おそらく日本の科学的国際観測第一号が、今からちょうど120年前にここ水沢で始まったのである。

研究者の名前は木村榮(ひさし)。緯度観測所初代所長として、毎夜決められた星を観測し、そのデータをドイツ中央局に送っていた。ところがまもなく、中央局から水沢の観測結果の誤差が大きいと再調査の要求が届く。「木村さんは責任を感じ、機械を分解したり環境を調べたりした結果、どこも悪いところがなく自然現象に原因があるはずだと研究を続けました」。1973年、緯度観測所(現水沢観測所)時代から働く石川利昭さんが解説して下さる。そしてついに木村所長は緯度変化の計算式に、新たに加えるべき『Z項』を発見(1902年)。日本人による天文学への初の貢献である。この発見により木村博士は数多くの賞を受賞すると同時に、観測地としての水沢の良さや日本の観測技術の高さを世界にアピールすることになった。

木村所長が観測に使った眼視天頂儀(木村榮記念館内)

「世界が認めたことで、日本でも天文学の緯度観測が重きをおかれるようになったのです。当時、このあたりは周囲に何もなく特に真冬はマイナス15度にもなる。そんな環境で休むことなく一人で情熱を燃やして観測を続けた。ここは岩手の片田舎ですが、日本の科学的国際観測の発祥の地です。ブラックホール観測に成功した、そのスタートはここなんです」。眼視天頂儀の2号機を使って緯度観測をされていた石川さんは感慨深げだ。その後、緯度観測所は国立天文台の観測所となり、電波望遠鏡も使い観測を続けた。

ところで岩手出身と言えば宮沢賢治。賢治も緯度観測所を訪ねている。たとえば「風の又三郎」にはテニス好きな木村博士が登場するが、実際の木村榮博士もテニス好きだ。「銀河鉄道の夜」にも、緯度観測所での経験が反映されていると言われている。

史上初ブラックホール撮影の舞台裏

1899年に水沢で始まった国際的な共同緯度観測について「当時、世界最大のプロジェクトであり国際協力の走りを実現した。その遺伝子は確実に受け継がれ、水沢は常に世界とつながっている」と本間所長も意義付ける。その遺伝子は120年後、ブラックホール史上初撮影という形で花開く。ブラックホール撮影成功の舞台裏について、研究者らが座談会で語り合った。

「いわて銀河フェスタ2019」でブラックホール観測の舞台裏について話す研究者たち。

水沢VERAチームがブラックホール観測に参加しようと覚悟を決めたのは、2008年。アメリカのVLBIグループが天の川銀河の中心に小さな電波源を観測したというニュースが飛び込んできたからだ(この辺りは次回、本間所長インタビューでじっくり紹介します)。「あと何年かしたらブラックホールが見えるのではないか」とピンときた本間博士は「一緒に実験しましょう」とアメリカに連絡。2010年には南米チリに飛び、ブラックホール観測に向けた実験を開始する。

ブラックホール撮影プロジェクトには世界76機関から206名の研究者が参加している。国際協力の難しさを問われると、秦和弘さんは「水沢に来る前は外国で研究員をしていた。その時に世界共通でこういう人は友達が増えると感じたのは、面白くてユーモアのある人。日本人は真面目で無口、話しにくいと思われがち。だから自分はできるだけ面白いことを言おうと心掛けた。研究は二の次です」と話す。確かに秦さんらの話はユーモアがあふれ、笑いが絶えない。

一方、国際チーム日本代表を務めた本間所長は「相手の気持ちをちゃんと把握できるかどうか。プロジェクトに行き詰ったとき、相手の希望に沿い、こちらもハッピーになる落としどころを見つけるには、相手が何をやりたいのかを読むことが一番大事」と語る。

相手の気持ちを読むことに長ける本間所長だが、4月に行われたブラックホールの会見前は不安が強かったという。「(発表できるのは)ぼやけたドーナツのような画像一枚しかない。夜10時に記者を集めて、『たったこれだけですか?』と言われるんじゃないかと、ドキドキしていました」

だが、蓋をあければ画像を発表するや否や、記者から『おーっ!』というどよめきがあがった。世界の新聞で一面トップを飾ったブラックホールの画像。今回の発表は「スタート地点に立ったにすぎない」と本間所長はいう。これから数年でさらにダイナミックなブラックホールの姿が見えるようになると。そのあたりはじっくり、本間所長へのインタビュー記事で。お楽しみに!

水沢キャンパスの施設紹介に欠かせないのがスパコン・アテルイII。天文学専用では世界最速の計算速度を誇る「理論天文学の望遠鏡」。見学時も、微惑星からいかに惑星が形成されるかについての計算中だった。水沢にあるのは、スパコンを冷やす際、涼しい場所の方が電気代がかからないから。
スパコンは、ブラックホールがどう見えるかというシミュレーションや研究に欠かせない。アテルイIIはブラックホールからどのようにジェットが出るかなど、今後の研究への貢献が期待されている。説明するのは国立天文台の小久保英一郎教授。
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