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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

宇宙飛行士の命を救ったロシア「緊急救助システム」とは
—菊地涼子さんに聞く

「ロケット界のフォルクスワーゲン」とも呼ばれ、打ち上げ実績と信頼性ではぴか一。そのソユーズロケットが10月11日の打ち上げ時、まさかのトラブルに見舞われた。

ロシアのアレクセイ・オフチニン飛行士とNASAニック・ヘイグ宇宙飛行士が搭乗したソユーズFGロケットは10月11日17時40分(日本時間)、カザフスタン共和国のバイコヌール宇宙基地から国際宇宙ステーション(ISS)に向けて発射された。

10月11日17時40分、ソユーズロケットは先端に二人の宇宙飛行士を乗せてバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた。(提供:NASA/Bill Ingalls)

打ち上げから約2分後、第一段が分離する際にトラブル発生、二人の宇宙飛行士が搭乗した宇宙船(ソユーズMS-10)はソユーズロケットから緊急離脱し、カザフスタン中部のジェズカズガンに着陸。救助隊が向かったが二人にケガはなく、健康状態は良好。世界中が安堵した。

トラブルから無事に生還し、家族と抱き合う二人の宇宙飛行士。右端でロスコスモス有人飛行プログラム部長クリカリョフ元宇宙飛行士が見守る。(提供:NASA/Bill Ingalls)

「35年ぶりに緊急脱出システムが働いた!」と各国のメディアが報道。35年前の1983年9月26日、ロシア人の2人の宇宙飛行士は発射台で打ち上げに向け準備中のロケットで爆発が起こった際、ロケット先端の緊急脱出用ロケットで脱出。14~17Gの重力加速度を受けたと言われているが無事だった。今回も同様に、ロケット先端の脱出用ロケットで「脱出」したのだろうか?ネット上の様々な情報を見ても、そのあたりが曖昧に書かれている。そもそもソユーズロケットの打ち上げ後のシーケンス(何分何秒後に何が起こるのか)もよくわからない。

一方、TBS宇宙特派員プロジェクトで1989年から日本人で初めて旧ソ連・星の街で宇宙飛行士訓練を受け、国家審査委員会から宇宙飛行士の資格を与えられた菊地涼子さんは、事故直後からロシア宇宙情報を発信していた。ロシア国営宇宙企業ロスコスモスなどから出される情報はロシア語であり、私たちにはわかりにくいが、菊地さんは翻訳した上にご自身のご経験から要点をわかりやすくツイート。そこで今回の打ち上げで何がどう働いて、二人が緊急事態から生還できたのか、菊地さんに話を伺った。

先端の緊急脱出ロケットでなく、フェアリングのエンジンが作動

まず、先端の緊急脱出ロケットが働いたのか、という点について。「今回は緊急脱出用ロケットは使われていません。トラブルが起こった時は既に緊急脱出用ロケットは分離された後だからです。フェアリングについている4本の小さなエンジンが作動して、宇宙飛行士が乗る宇宙船を切り離したのです」(菊地さん)

フェアリングについているエンジン!?まずは3段式のソユーズロケットの構成を把握しておこう。

ソユーズロケットは3段式。第三段の先端についているのが緊急脱出用ロケット。(提供:ESA ソユーズロケット打ち上げシーケンス紹介動画より)
第三段を横から見た図。左端が緊急脱出用ロケット、画像中央の白いカバーがフェアリング。内部に宇宙飛行士が乗るソユーズ宇宙船。今回は、フェアリングについているエンジンが作動し、第二段からソユーズ宇宙船を切り離した。(提供:ESA ソユーズロケット打ち上げシーケンス紹介動画より)

「ソユーズロケットの緊急救助システムは、(先端の)緊急脱出用ロケットだけでなく打ち上げ前から軌道投入まで、それぞれの段階で離脱できるようになっている全体のシステムを指します。非常に複雑でよく練られたシステムです」(菊地さん)。そもそも「緊急脱出」という言葉も誤解を与えがちだ。菊地さんはロシア語訳に近い「緊急救助システム」という言葉を使う。

打ち上げ後のロケットに、いったい何が起こったのか。事故後、ロスコスモス有人飛行プログラム部長クリカリョフ元宇宙飛行士(菊地さんとクルーを組んで宇宙を目指した仲間)がTV番組や記者会見でコメント。その内容を聞いた菊地さんの話を要約すると「事故は第一段ロケット分離の際に起きた。第一段ロケットの4本のブースターのうち1本について、届くはずのシグナルが届かず、自動で分離するコマンドが出なかった。その結果、通常通りの分離ができず、第二段ロケット下部に衝突。ロケットが軌道を外れたため、自動的に緊急事態のモードに入った」。

第一段ロケット分離がいつ頃起こり、その後どうなったと考えられるか。菊地さんはまずソユーズロケットの打ち上げシーケンスと、ロスコスモスが作成したCG動画を教えてくださった。

「ソユーズロケット打ち上げシーケンス」
T - 0:00 打ち上げ
T+ 114 (1分54秒後) 緊急脱出用ロケット分離
T+ 118 (1分58秒後) 第一段分離
T+ 157 (2分37秒後) フェアリング分離
T+ 287 (4分47秒後) 第二段分離
T+ 524 (8分44秒後) 第三段燃焼終了
T+ 528 (8分48秒後) ソユーズ宇宙船分離、軌道投入

(提供:ロスコスモスのソユーズロケット打ち上げシーケンスから)

今回の事故は③の後に起こったことになる。その時点で既に緊急脱出用ロケットは分離されているので、④のフェアリング分離前にフェアリングについているエンジンで、ソユーズ宇宙船をロケットから切り離し⑥の状態に。その後ソユーズ宇宙船は、乗員が乗る帰還モジュールだけを他の部分から切り離し、パラシュートと通常の着陸システムで着陸した。

人間は失敗するもの「優しさをもったシステム作り」

驚くのはこれら緊急救助システムがほぼ自動で動くことだ。「飛行士が気を失っても生きていられる。自動システムが機能しない場合に人間が関与してオペレートするんです。その前提には、人間にも機械にも失敗はありうるという考え方がある。失敗しても補いようがあるという『優しさをもったシステム作り』がロシア宇宙開発の好きなところです」。菊地さんの話からは、ロシア宇宙開発や携わる人々への尊敬の念と親愛の気持ちが感じられる。

そう言えば、人類初の宇宙飛行を成し遂げたガガーリンの宇宙船も、何が起こるかわからず、ほぼ全自動で宇宙船から射出椅子で飛び出し、パラシュートで着地まで行えるようになっていた(ロシアの宇宙服企業を訪れた際、射出椅子を開発した老エンジニアが熱心に説明して下さった)。いくらロケットが複雑化しても、その考え方が代々受け継がれているのだろう。

失敗から学び、完成度を高めたシステム

菊地さんによると、この緊急救助システムは「数十年にわたり失敗しては設計し直して、修正を繰り返しながら作り上げてきた完成度の高いシステム」だという。たとえば35年前、1983年に発射台でのトラブル時に作動した緊急脱出ロケットは飛びすぎて、宇宙船の帰還モジュールが基地の外の酸素製造工場に落下しそうになった。そこで、発射台からは離すが遠くに飛びすぎないよう(高さ約1.5km)にした。

また1975年、ソユーズ18aが第二段・三段の分離に失敗し緊急救助システムで高度200km近くから帰還した際は、モンゴル近くの山に着地。この例もありロケット打ち上げ時には、救急隊員がバイコヌールからシベリアまで4地点125名が配置されるそう(タス通信の記事による)。だから今回も、緊急着陸後それほど時間がかからず救助に駆け付けることができた。

ちなみに、ソユーズ18aの二人の宇宙飛行士は瞬間的に26GものGを受けたという。菊地さんは星の街で訓練中の1990年、二人のうちの一人であるマカロフ飛行士に会ったそう。26Gは胸を車でひかれたのと同じ、と後に本人が語ったそうだが、「お元気でふつうに歩いていました」(菊地さん)。

菊地涼子さん(左)とセルゲイ・クリカリョフ元飛行士。ロシア・モスクワ郊外にある宇宙飛行士訓練センター「星の街」で。2011年撮影。ガガーリン像の後ろに見えている建物が菊地さんが訓練時代に住んでいたアパート。レオーノフ飛行士やテレシコワ飛行士も住んでいた。(提供:菊地涼子)

緊急救助システムが35年ぶりに完璧に働いたことについては、どんな非常時も命を救うソユーズロケットの信頼性の高さを示したと言える。一方で、「近年は失敗や不可解なアクシデントが続く」と菊地さん。ソユーズ宇宙船に穴があいていたせいでISSで気密漏れが起こったり、昨年、ボストーチヌイ宇宙基地からロケット打ち上げ後、コンピュータのプログラミングのミスで衛星の軌道投入に失敗したり。「現場の世代交代がうまくいかず、経験がうまくひき継がれない背景事情があるのではと推察します」(菊地さん)。

3回の無人飛行を経て、宇宙飛行士打ち上げを目指す

今回の発射時のトラブルについては、事故調査の国家委員会が原因を調査中だ。3回、無人でソユーズロケットを打ち上げて安全性を確認後、12月初めの宇宙飛行士打ち上げを目指しているとクリカリョフ氏は17日の記者会見で語ったそうだ。

「ソユーズロケットは外見は変わりないけれど、中身やコンピュータをアップグレードしています。新しいものを飛ばす際は、まず無人貨物船プログレスを打ち上げて試します。それで大丈夫なら宇宙飛行士を打ち上げる。今回(の第一段分離システム)は新しい技術でなく何十年も使われてきたシステムなので、しっかり監督することで組み立てを行うのではないか」と菊地さんは見る。

ソユーズ宇宙船に搭乗していたNASAニック・ヘイグ飛行士は今回が初飛行。空軍のテストパイロットだっただけに、緊急時の心構えには慣れていたとNASAテレビのインタビューで語った。だが、窓の外から弧を描く地球と漆黒の宇宙空間を見た時はほろ苦い気持ち(bitter & sweet)になったという。

ISSに滞在中のプロコピエフ飛行士が、ソユーズロケット第一段を分離するところまで撮影した写真。高度約50kmまで上昇したとみられる。(提供:ロスコスモスのツイッターより)
打ち上げ前、二人の息子たちにガラス越しに手を合わせるNASAニック・ヘイグ飛行士。子供たちの元に帰ってきて本当によかった。次は安全に宇宙に飛び立てますように。(提供:NASA/Victor Zelentsov)

菊地さんの話を聞き、どんな時も確実に命を救うロシアの緊急救助システムには学ぶところが多いと実感した。その技術を現場の若い方々に継承し、二人の宇宙飛行士が再び宇宙に向けてなるべく早く打ち上げられることを心から願う。と同時に、「宇宙への足」を一つの宇宙船に頼る現状の危うさが露呈したとも言える。米国の民間企業の宇宙船は開発が遅れ気味だ。安全な宇宙船を複数もつことが急がれる。

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