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We are from Earth. アストロバイオロジーのすゝめ

東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine東京工業大学 地球生命研究所 教授 関根 康人 Yasuhito Sekine

 Vol.16

モンゴル宇宙紀行 I — 融ける凍土と火星基地

砂埃を巻き上げながら、小石と礫だらけのユーラシア大陸の大地を四駆車が疾走している。2018年の夏、僕はその四駆車に乗って、モンゴルで調査を行っていた。

首都ウランバートルを出れば、建物らしい建物はほとんど見かけなくなる。調査地まで一日10時間ほど車に揺られ、二日以上をかけて向かう。ウランバートルからバヤンホンゴル市まで道はアスファルトで舗装されているが、その先は砂と石の荒野を車はひた走ることになる。

調査地域の緯度は北海道と同程度であり、標高1500メートル程度の高原のため、夏といえども涼しくさわやかである。日中は摂氏20℃ほどで長袖がちょうどよいが、夜はやや冷える。一方で、冬季の気温はマイナス20℃を下回るほど厳しい。

車窓から見えるのは、遥かな地平線である。遠くには4000メートル級のアルタイ山脈も見える。夏の限られた期間を除いて、雨はごくわずかである。乾燥した大地には見渡す限り木は一本も生えておらず、少しの下草と砂が入り混じった黄緑色の草原が続いている。空はひらすら青く、雲は低く、ときに地平線から湧き出しているかのごとく見える。

単調だが見飽きない美しい風景。この風景にアクセントとなっているのは、稀に遭遇する馬に乗った遊牧民、それらが追う羊や山羊の群れ、ガゼルやキツネなど野生動物である。

車から見たモンゴルの風景。向こうに見えるのがアルタイ山脈であり、中央の黒い点々は一直線に歩くラクダの群れ。2017年9月撮影。(提供:関根康人)

天国に最も近い国があるとすれば、それはモンゴルではあるまいか。

コロナ禍で中断を余儀なくされるまで、僕は数年にわたりモンゴル乾燥地帯に調査に出かけた。火星には今も生命がいるのか、どこに現存生命を探すべきか、人類は火星に移住できるのか、といったことを考えるヒントが、このモンゴルにあるのではないかと、僕は思っている。

このコラムでは不定期に僕らの調査の一端を紹介したい。今回はそのパート1である。

火星の失われた水

現在の火星は乾燥寒冷であり、砂漠の惑星といってよい。

一方で、40億年ほど前、太古の火星は液体の水をたたえた水の惑星であった。多くの河川跡や三角州、湖の跡などの地形や、水があることでできる粘土鉱物と呼ばれる鉱物の存在が、その確たる証拠である。

では、かつて火星に豊富に存在した水はどこに消えたのだろうか。

今の火星にも北極と南極に極冠と呼ばれる氷床があるが、その氷の量はかつて存在した水の総量には圧倒的に足りない。

火星の重力は地球の半分ほどであり、大気は地球の100分の1以下しかない。かつて火星を覆っていた厚い大気は、弱い重力の束縛を振り切って、ほとんどが宇宙空間に飛び去り失われたと考えられている。では、水も大気と同様に宇宙に飛び去ったのであろうか。

一部はそれもあるだろう。ただ、全ての水を宇宙空間に捨て去ることはできない。大気が失われる過程で地表が冷え、水が凍結することで宇宙に飛び去りにくくなるからである。

2018年1月、アメリカの研究チームは、火星の地下に大量の氷が凍土として保存されているという論文をサイエンス誌に発表した。周回衛星のデータから、中緯度にある断崖の壁に、厚さ100メートル以上の厚い凍土層があちこちで顔を見せていることを明らかにしたのである。場所によっては、地表からわずか1メートルにまで凍土が迫っているところもある。

太古の火星にあった大量の水は、現在では地下深くまで浸み込んで厚い凍土層となっていたのである。

火星には現在もある程度の地熱があり、地下は地表よりはるかに暖かく、また圧力も高い。つまり、液体の水が安定に存在しやすい条件にあるといえる。地下深く眠る凍土の一部が融け、液体の水となっている場所がどこかにあっても何ら不思議ではない。

馬乳酒とモンゴルの凍土

そのようなことを考えて車外をぼんやり眺めていたら、車は突然速度を緩めた。

モンゴル国立大学の共同研究者ダバドルジさんが、遊牧民のゲル(移動幕舎)に立ち寄りたいと言っているのである。

目的は、遊牧民の作る馬乳酒である。馬乳酒はその名の通り、馬の乳を馬の革袋のなかに入れて自然発酵させた飲み物である。馬乳は糖分が高く、そのままでは飲むのに適さない。これを発酵させることで糖分が乳酸やアルコールに変わり飲みやすくする。もっともアルコール分は1%ほどで、酒と呼ぶにはいささか物足りなさを感じる。

味はと言えば、強烈な酸味のコクの中に、独特の草や土の苦みと、馬のけものの香りがうっすら混じる。そういったものであるので、自然と作り手が変われば、その味は全く異なってくる。ダバドルジさんは2リットルの空のペットボトルに、満杯まで馬乳酒を入れてもらい、それを車中で飲みつつ次に向かう。向かう先では別の遊牧民に馬乳酒を売ってもらい、効き酒ならぬ、効き馬乳酒をやりながら旅を楽しんでいる。豪快そのものである。

モンゴル国立大学のダバドルジ助教。(提供:バーサンスレン氏・金沢大学)

さきほど立ち寄った遊牧民の話として、最近は地下水が出なくなって困っているらしいと、馬乳酒を飲みながらダバドルジさんは言う。僕らも移動中に枯れた井戸を見た。調査地域付近にある塩湖も、最近は乾季に枯れてしまうこともあるという。

この地域の地下水や湖の水源となっているのは、ハンガイ山脈と呼ばれるモンゴル中央部を貫く山々の凍土や雪である。夏の間に凍土や雪が溶けて地下水となり、その地下水が山脈を緩やかに下り、遊牧民の暮らす平原を潤す。

最近では、地球温暖化でハンガイ山脈地下の凍土が急速に融けているという。ハンガイ山脈はユーラシア大陸に存在する永久凍土の最南端である。すなわち、地球温暖化で真っ先に融け始めるのは、このハンガイ山脈の凍土ということだ。

凍土が盛んに融けているのであれば、むしろ地下や湖は水で満たされてよいのではないか。なぜモンゴルから水が消えていっているのか。

そんなことを考えつつ調査地域に向かう。僕らの調査地域もまさにその凍土帯なのだ。

火星の黒い筋模様

凍土の融解は、モンゴルだけでなく、火星でも起きているのかもしれない。

火星では、周回機が高解像度の写真を撮り続けている。今では同じ場所を異なる季節や年に写真をとって、それらを比較することができている。

2011年、アメリカ・アリゾナ大学の学生が、この火星の画像を丹念に調べた結果、暖かい夏の時期に、クレーターなどの急斜面に暗い筋模様が突如出現し、冬に消失していることを発見した。筋は幅数メートル、長さ300メートルほどしかない。通常であれば見逃す大きさである。相当な集中力で探したことがうかがえる。そのような筋が出現するのは火星上で数百ヵ所を数える。

この筋模様は何を意味するのか、発見以来、多くの研究者がこの問題に取り組んでいる。ある人は地下深くの凍土が融けた地下水が、断層を伝って地表に顔を出し、斜面を流れているのだと主張し、またある人は水や氷とは無関係の小規模な砂の地滑りだと言っている。

火星のクレーター内の斜面に現れる暗い筋模様。暖かい季節に出現し、寒い季節に消失する。筋の幅は数メートル、長さは300メートルほどである。(提供:NASA/JPL-Caltech/Univ. of Arizona)

多くの研究者が火星の画像を調べるなかで、僕の戦略は少し違った。これが凍土に関連したものであれ、地滑りであれ、注意深く探せば、地球上でも似たようなものは見つかるのではないか。その特徴を調べることで、この筋模様の成因が絞り込めるのではないか。

それ以来、とにかく手に入る地球の衛星画像データを片端から調べる作業を行った。そして、火星に似た筋模様が、地球にもあることをようやく見つけた。

地球上の暗い筋模様は、ユーラシア大陸と南アメリカ大陸の永久凍土帯の南端に出現し、特にモンゴルには多く出現する。今回の調査では、まさにその衛星画像で見つけた筋模様の出現地域に初めて訪れるべく、車を走らせている。

有人火星探査

たどり着いた調査地点では、多くの発見があった。

中には、まさに地下の凍土が融解し、水が湧き出して斜面を流れている場所もあった。そのような場所では、水だけでなくメタンガスも地下から湧き出していた。融けた凍土のなかにメタンを作る原始的な微生物がいるのかもしれない。融解した凍土は、乾燥した大地のなかで微生物にとってのオアシスなのだろう。一方で、すでに水が蒸発してしまった筋模様の跡も見つけた。

ドローンで撮影したモンゴルの暗い筋模様。幅は数メートル、長さは300メートル程度。火星とほぼ同じである。(提供:関根康人)

もちろん、これらは地球の話であり、火星の暗い筋模様の成因は全く別かもしれない。

しかし、現在の火星に、現存する生命がいるとしたら、生命を探すとしたら、暗い筋模様の周辺というのは有力な候補の一つとなるに違いない。

2020年代後半に、マーズ・アイスマッパー(Mars Ice Mapper)という日本・アメリカ・カナダ・イタリアによる国際探査が計画されている。合成開口レーダを使い、火星の地下の凍土の分布を調べる計画であり、僕もその日本側メンバーである。暗い筋模様とレーダでの地下凍土の両方がある領域があれば、あるいはそこでは凍土も融解しているかもしれない。

マーズ・アイスマッパー計画の主目的は、宇宙飛行士による有人火星探査、および火星基地建設のための水資源の探索にある。水は飲料にするだけでなく、分解し水素と酸素にしてエネルギーにする。火星では、石油や石炭といった化石燃料は期待できない。火星に人類が棲むとしたら、地下の凍土をつかった究極のゼロカーボン水素社会を作らねばならない。

日本・アメリカ・カナダ・イタリアによる国際探査計画「マーズ・アイスマッパー」の概念図。合成開口レーダで地下の氷の分布を調べ、宇宙飛行士による有人火星探査を実現する。(提供:NASA)

地球温暖化によってモンゴルの凍土融解が加速したことが、人類の火星進出へ一つのヒントを与えているとすれば、これほどの皮肉はないだろう。地球を棲みよくする前に、火星への居住可能性を考えることは本末転倒かもしれない。

極寒の冬、乾燥した大地。美しくも生きていくこと自体に多大な労力がかかる土地で、なおかつ近年の移りゆく気候変動のなかで、遊牧民を続けることは簡単ではない。遊牧を捨てた人が、都市部のウランバートルに集まることもモンゴルの社会問題だという。

ダバドルジさんは遊牧民の出身であり、モンゴルを代表する大学で地形や水文を研究し、若くして教鞭をとる超のつくエリートである。彼の言った、“遊牧民は尊敬を集めている、大学で後進を育てたら自分も遊牧に戻りたい”、という言葉は印象的であり、示唆的でもあり、モンゴルの風景とともに、僕はどうにもこの言葉を忘れられないでいる。

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