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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

米ロ飛行士、ソユーズ宇宙船で無事帰還。協力の歴史とこれから

3月30日20時28分(日本時間)着陸直後のソユーズ宇宙船内。中央がロシアのアントン・シュカプレロフ飛行士、左がNASAのマーク・ヴァンデハイ飛行士、右がロシアのピョートル・ドゥブロフ飛行士。(提供:NASA/Bill Ingalls)

「地球上では人々は問題を抱えている。でも宇宙で我々はワンクルー。ISSは友情と協力のシンボルだ。未来の宇宙探査のシンボルでもある」。ロシアのアントン・シュカプレロフ飛行士はISS(国際宇宙ステーション)を去る前の船長交代式で語った。

3月30日20時28分(日本時間)、シュカプレロフ飛行士はロシアのピョートル・ドゥブロフ飛行士、NASAのマーク・ヴァンデハイ飛行士と共に、ロシアのソユーズ宇宙船でカザフスタン共和国の草原に着陸。ヴァンデハイ飛行士はアメリカ人の一回の宇宙飛行で最長となる355日間の宇宙滞在記録を達成した。

着陸地点はカザフスタン共和国のジェズカズダン近郊。宇宙船着陸後の作業は極めてスムーズに和やかに行われた。(提供:NASA/Bill Ingalls)

ロシアによるウクライナ侵攻によって、ソユーズ宇宙船にアメリカ人であるヴァンデハイ飛行士を乗せ帰還が実施されるかどうかが懸念された。だが、ソユーズ宇宙船は延期もなく、予定通り米ロの飛行士を乗せてISSを分離、着陸。着陸後のロシア・レスキュー隊の作業は極めてプロフェッショナル。何十年も繰り返された着陸後の現場作業が淡々と、かつなごやかに展開されていた。そしてヴァンデハイ飛行士はカザフスタンからアメリカに無事に帰って来ることができた。国営宇宙公社ロスコスモスのトップは過激な内容を頻繁にツイートしていたが、有人宇宙開発において実行部隊の国際協力はなんら影響を受けていなかったことに安堵した。

355日間の宇宙滞在を経てソユーズ宇宙船から担ぎ出されるヴァンデハイ飛行士。カザフスタンからNASAのジェット機で翌日にはアメリカテキサス州ヒューストンに到着。元気に歩く様子が公開された。(提供:NASA/Bill Ingalls)

ISSの国際協力の歴史

別々の路線を歩んできたアメリカとロシアがISSでどうやって協力に至り、数々の困難を乗り越えてきたのか、その歴史を振り返ってみよう。大きく二つの要因がある。その一つは1991年末にソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が誕生したこと。旧ソ連が保有していた核やミサイルなどの技術や技術者が流出しないよう、ロシア国内に宇宙計画への雇用機会を与える必要があった。

もう一つは、当時、アメリカでISS計画の膨大な予算が問題視されていたこと。と同時に、旧ソ連は宇宙長期滞在において圧倒的に多くの経験と技術を蓄積していた。1970年代から宇宙ステーション・サリュートで100日間を超える宇宙滞在がたびたび実施されていたし、1986年に打ち上げられた宇宙ステーション・ミールでは300日を超える宇宙滞在者が何人もいた(医師であるワレリー・ポリャコフ飛行士は1994年から437日に宇宙滞在を実施。真剣に火星有人飛行を目指していたのだ)。方やアメリカはミニ宇宙ステーション・スカイラブを打ち上げてはいたが、最長でも84日間の滞在。ロシアから学ぶべき点が多々あった。

1993年、アメリカのクリントン政権は宇宙基地計画の継続を指示。同年末にはロシアがISSに参加することも決定した。ロシアの長期宇宙滞在から学び、経費節減にもなると考えた結果である。1998年11月、ISSの最初のモジュール「ザーリャ」が打ち上げられる。ロシアが製造したモジュールをアメリカが数百億円で購入したものだ。この打ち上げに至るまでに、ロシアとアメリカの間で共同飛行計画シャトル・ミールミッションが9回にわたり行われた。

1995年6月、スペースシャトル・アトランティスがロシアの宇宙ステーション・ミールにドッキング。合計9回のシャトル・ミールミッションが行われ、7人のアメリカ人飛行士が2年以上にわたり、ミールに連続的に滞在した。(提供:NASA)

スペースシャトルにロシア人飛行士が搭乗する一方、スペースシャトルが宇宙ステーション・ミールにドッキングし、NASA飛行士がミールに滞在した。高速で飛ぶミールに高速で飛ぶシャトルが近づき、ドッキングすることもNASAにとっては未知の経験だった。ミールでは火災、貨物船の衝突・減圧、異文化間の軋轢による宇宙飛行士の抑うつ状態や実験棟への閉じこもりなど非常事態が多発。アメリカは「宇宙で長期滞在するとはどういうことか」を学んだ。この経験からNASAは「異文化対応訓練」などを導入している。

いくつもの危機を乗り越えて

2000年11月からISSに宇宙飛行士が暮らし始めた。第一次長期滞在クルーはロシア人2人、アメリカ人1人の3人で140日間滞在。それから22年間、ISSは一度も空き家になったこともなければ大きな事故も起こしていない。だが、地上の非常時にISSの宇宙飛行士が無縁でいることは難しい。ISSは何度も大きな危機を乗り越えてきた。

もっとも大きな事件は2003年2月1日に起きたスペースシャトル・コロンビア号事故だろう。ISSは1998年に建設が開始(2011年に完成)、約1か月に1回のペースで物資などが運ばれ増設していたが事故により約2年半の間、スペースシャトルの飛行が凍結。ISSの宇宙飛行士滞在は3人から2人になったものの、ISSは無人化を免れた。それは「ISSへの足」がスペースシャトル一択でなく、ソユーズ宇宙船があったおかげだ。ロシアがもしISS計画に参加していなかったら、2年半の無人化の間にISSがどうなっていたかわからない。一つの装置やシステムが壊れた時、即座に別システムに切り替える。冗長化の価値がこれほど認識されたことはないだろう。

2003年4月末に打ち上げられた第7次長期滞在クルーからISSは2人体制に。アメリカ人1人とロシア人1人のチームで難局を乗り切った。(提供:NASA)

そして2014年、ISSで若田飛行士が日本人で初めて船長を務めた際にはロシアがクリミア半島を併合したことも記憶に新しい。この時、ISSで宇宙飛行士たちはどう過ごしたのか。若田飛行士は「ウクライナについてのニュースを見ながら宇宙で様々な会話をした」という。若田さんは(ウクライナで)海上サバイバル訓練を行った経験を、ロシア人飛行士はウクライナに住む親戚の話を。「大事なのは対話を重ねること。私たちは家族のようなもの。ISSでの仕事に影響を与えることはなかった」と記者会見で語った。「ISSは米ソの冷戦時には考えられなかったような国際協力を実現し、順調に進んできた。その事実を忘れてはならない」。若田飛行士が強調したことが強く印象に残っている。

2014年5月、若田飛行士がISS船長を務めた際の集合写真。地上ではロシアのクリミア併合で緊張状態だったが、ISSの国際協力に影響はなかった。(提供:NASA)

直接ISSの運用に関係はなかったが、地上の大惨事は宇宙飛行士のメンタルに大きな影響を与える。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起こった際にISSに滞在していたNASAフランク・カルバートソン飛行士は、上空からニューヨークの惨事を目の当たりにし「世界が変わってしまった」と衝撃を受けた。同級生がペンタゴン(国防総省)に突入した航空機の操縦を担っていたことも彼を打ちのめした。愛する人の近くにいたいのに、地球から離れている唯一のアメリカ人であることの孤立感。そんな時に同僚のロシア人飛行士やロシアの管制センターからの温かい言葉がどれだけ心の支えになったかを、彼は手記で語っている。

2001年9月11日、ISSから撮影されたニューヨーク周辺。マンハッタン地区から煙が立ち上がる様子がとらえられている。(提供:NASA)

ただし、スペースXがISSへの新しい足「クルードラゴン」を運用し始めてから、ロシアとアメリカの親密だった関係が変化している。クルードラゴン運用前は、ソユーズ宇宙船の訓練のため世界の宇宙飛行士はモスクワ郊外の訓練センター「星の町」に長期間滞在し、ロシア宇宙関係者とチームワークを育んだ。だが今はその必要はない。ソユーズ宇宙船の座席の購入のためにNASAが払っていた費用もなくなり、ロシアは再び宇宙旅行客へ座席の販売を始めた。その座席で前澤友作氏らがISSを訪問することができたのだ。

過去の教訓と今後

今後のISSの国際協力はどうなるのか。冷静に事態を見守る必要がある。2007年からJAXAで国際宇宙ステーションプログラムマネージャを務め、2011年8月からJAXA理事も担った長谷川義幸氏は「ロシアはアメリカとの駆け引きの材料にISSを使っている」という。2014年のクリミア併合後もロシア副首相はISS延長に参加しないと言っていたにも関わらず、最終的にはロシアは延長に合意している。

「ロシアの有人宇宙開発のピークは旧ソ連時代のミール宇宙ステーション打ち上げ後5年ぐらい。その後は、財政事情から予算があまり出ていなかった。冷戦崩壊後は、ロシアのISS参加によりロシアモジュールを打ち上げることができたし、ロシアも予算はそれなりに出すようになったが、プーチン政権は有人宇宙開発に価値を見出していない。つまりロシアは自力で有人宇宙開発を続ける資金力も政治的後押しもない状況。ロシアが有人宇宙技術を世界にアピールするにはISSを継続するしかないのです」(長谷川氏)

一方、ロシアがいなくてもISSは運用維持できるのか?具体的にはISSの軌道維持や、デブリの衝突を避けるための軌道制御はできるのか。答えはYes。ISSが飛行する高度約400km付近はわずかながら空気があるために高度が下がってくる。その高度を維持するために定期的なエンジン噴射が必要で、従来はロシアのプログレス貨物船がその役割を担っていた。だが、今ではアメリカのシグナス貨物船がその機能を担えるように。宇宙を飛び交うデブリを回避するための軌道制御もそれほど難しい技術ではなく、他の貨物船などで代替できるという。

アメリカの民間貨物船シグナスがISSの軌道の維持の役割を担えるようになった。2022年2月撮影。(提供:NASA)

ただし、アメリカが膨大な予算を投じてISSを運用するのは国際政治的な意味があるからだと長谷川氏は指摘する。「西側諸国の中にロシアが入ってISSが運用されていることに最大の意味がある」。ロシアがISSから脱退すればアメリカ議会は今までと同じ規模の予算を簡単には認めないだろうと。「ISSは宇宙プロジェクトの中で唯一、各国が批准した国際協定書に基づき運用されているプロジェクト。簡単にやめられるものではない。ロシアも新しいモジュール(ナウカ)を昨年ISSにドッキングしたばかりだし、そう簡単に抜けることはないだろう」。だからこそ、ロスコスモストップのSNSでの非公式発言については、その真意を考えて取り扱わないといけないと長谷川氏は見る。

国際交流のお手本は宇宙

2013年11月、打ち上げ前の若田飛行士とミハイル・チューリン飛行士(右)。チューリン飛行士は911同時多発テロが起きた際、ISSでNASAカルバートソン飛行士を支えたベテラン飛行士でもある。(提供:NASA/Bill Ingalls)

私はロシアを4度訪問し、バイコヌール宇宙基地打ち上げも2回取材している。ロシア宇宙関係者と話すたび、自分たちが人類初の有人飛行を実現させたという自負心、宇宙長期滞在をリードしてきた技術への誇り、どんなトラブルにも対処できるという自信を感じた。同時に、国際協力のパートナーとして日本人や日本を尊敬しているという信頼をも感じた。

たとえば2013年、バイコヌール宇宙基地で若田飛行士の打ち上げ直前会見に参加した時のこと。若田飛行士と一緒に飛ぶロシアのミハイル・チューリン飛行士に「若田飛行士はどんな船長ですか?」と聞いた。するとベテランのチューリン氏は「彼はコマンダーであると同時に友達。長く一緒に協力してきたからこそ、人間として友達として指揮官として尊敬している。素晴らしい指揮ができると自信を持って言える」と満面の笑みで語ってくれた。

宇宙での国際協力が地上の問題解決のお手本になると感じたのは2010年、ロシア人のゲンナジ・パダルカ飛行士にインタビューしたときの答えだ(彼は879日間の宇宙滞在最長記録保持者)。「国の仕事を超えて助け合わないと、宇宙の仕事は成功できない、地球上の代表が宇宙に集まっているようなもの。国が違えば習慣も考え方も違う。大変だけど面白い。それぞれの文化を楽しめるようになる」。壁一枚隔てた外側に死の空間が広がる宇宙では、助け合わないと命の危機に瀕する。だからこそ互いの違いを超えて協力しあう。パダルカ飛行士は2009年に若田飛行士がISSで初めて長期滞在した時の船長であり、リーダーシップのお手本にしている人物でもある。

ただし、こうした国際協力の貴重な実績や成果を現在のロシア政府トップがどう考えるのか、現政権の判断が今後、世界の有人宇宙開発にどんな影響を与えるかは未知数だ。

最後に、米ソの宇宙レースを経て初の国際協力に参加したロシアの故アレクセイ・レオーノフ飛行士の言葉を記しておこう。彼は1975年アポロ・ソユーズ共同飛行に参加。宇宙でかつてはライバルだったアメリカ人飛行士と握手を交わした。そのことを絵本「やさしい太陽の風」〈ラドガ出版所 1985年〉で綴っている。

1972年7月に行われたアポロ・ソユーズ共同飛行で。ロシアのアレクセイ・レオーノフ飛行士(左)とNASAのデューク・スレイトン飛行士。(提供:NASA)

「平和は、すべての国民に必要だ。ソビエト人は、戦争でどれだけ多くの人が不幸になり、苦しむかを、よく知っている(中略)。だからこそ、地球上の戦争を欲しないし、ばくだんやだんがんで、罪もない人々が殺されるのを望まないのだ(中略)。ソ連はとても強くて、豊かな国だ。本当に強い人は、弱い人を助け、富める人は、惜しみなく貧しい人にわけ与えるものだ」

「人間は争うよりも、平和に暮らさなければいけない理由がたくさんある、宇宙は人間が協力して働くべき分野だ。だから共同飛行が必要となり、ソビエト人とアメリカ人が友好的にくらせば、どのような成功をおさめることができるかの実例を、全世界に示すことに決めたんだよ」

宇宙を通して育んできた国際協力の営みが、この危機を乗り越えることを心から願っている。

(提供:NASA)
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