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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

「地球は変わらず美しい」若田飛行士8年ぶりの宇宙—その宇宙人生とは

2022年10月14日、ISS「きぼう」日本実験棟から記者会見を行う若田光一宇宙飛行士。

8年ぶりに戻ってきた5度目の宇宙。身体は「まるで昨日のことのように」無重量環境を覚えていて、自然に対応できている。そして、宇宙から見る地球は8年前と変わらず「本当に美しい」。ISS(国際宇宙ステーション)到着約一週間後に行われた記者会見で若田光一飛行士が語った言葉だ。以前と大きく変化したのは、ISS。「宇宙ステーションの中に入ると、新しいモジュールや実験装置がたくさんあって『進化している』ことを感じます」とその変化を饒舌に語る。

10月6日午前1時(日本時間、以下同じ)、クルードラゴンに乗って打ち上げられた若田光一宇宙飛行士は約29時間後の7日朝、ISSへドッキング。10月14日にISSとJAXA東京事務所を結んで行われた記者会見で若田飛行士が最初に語ったのは、「ISSの進化」だった。

10月7日午前7時49分にクルードラゴンとISSの間のハッチが開かれ、若田飛行士らがISSに入室。ウェルカムセレモニーは皆の笑顔がはじけた。(提供:JAXA/NASA)

具体的には、ロシアの多目的実験モジュール(2021年取り付け)、アメリカのBEAMモジュール(2016年取り付け)など、若田さんが2014年にISSを去ってから新しいモジュールが次々に取り付けられてISS全体が大きくなり、実験装置は新しいものに進化した。ハードウェアだけではない。「作業をするための手順書は、これまでコンピュータだけだったがタブレット端末でモバイル化された。効率性はかなり研ぎ澄まされて進化され、とても作業しやすいのを実感している」と語る。

そして日本の実験棟「きぼう」。若田さんは2009年、3度目の宇宙飛行中に船外実験プラットフォームをロボットアームで取り付け、「きぼう」を完成させた。その後、設置した全天X線監視装置「MAXI」は34個の新天体を発見、さらにこの9月には、ISSにあるNASAのX線望遠鏡NICERとの連携観測に成功している。「MAXIは現役で活躍し、突発天体をとらえる速報天文台としての役割を今日も果たしているのは、驚嘆すべきこと」と感慨深げだ。2009年には「新車のよう」と世界の宇宙飛行士から絶賛され、がらんとしていた「きぼう」は今や多種多様な実験装置であふれている。世界約50か国、約300機の超小型衛星を放出、科学実験や将来探査のための技術実証、さらに民間企業の様々なニーズにも対応。その活躍を「頼もしい」と若田さんは評価する。

クルードラゴンにロシア人初飛行士らルーキーと搭乗

10月5日21時40分すぎ、NASAケネディ宇宙センターで発射台に向かう前のCrew-5メンバー。左からロシアのアンナ・キキナ飛行士、ジョシュ・カサダNASA飛行士、コマンダーのニコール・マンNASA飛行士、若田飛行士。(提供:JAXA/NASA)

ISSへ向かうクルードラゴン搭乗も初体験だった。「非常にスムーズだった。これまでの宇宙船に比べると、高度に自動化された宇宙機だと思う。クルーの操作は簡易で、作業負荷が非常に少ない。ぐっすり休むことができました。より多くの皆さんが地球低軌道やその先へ行ける時代になっていることを実感した」と語る。

若田さんが搭乗したクルードラゴン運用5号機(Crew-5)は様々な意味で注目を集めた。若田さん以外の3人は初飛行のルーキーたち。コマンダーのニコール・マン飛行士はNASA から宇宙に行った初の先住民族(ラウンドバレー インディアン部族のワイラキ族)女性飛行士。そしてアンナ・キキナ飛行士はロシア人で初めてクルードラゴンに搭乗した。

クルードラゴン搭乗直前のキキナ飛行士(左)と若田飛行士。キキナ飛行士をさりげなくサポートする若田さんの姿が印象的だった。(提供:NASA)
クルードラゴン船内で。(提供:NASA)

キキナ飛行士のクルードラゴン搭乗が最終的に承認されたのは2022年7月。同年春から訓練は行っていたが、決定は飛行直前だった。打ち上げ生中継では、若田飛行士が常に笑顔でキキナ飛行士に寄り添い、宇宙船搭乗前にサインする場所をさりげなく教えるなど、キキナ飛行士をサポートしている様子がうかがえた。ロシアで何度も長期訓練を経験した若田飛行士はロシア語堪能。ロシア語と英語を織り交ぜつつ、キキナ飛行士の緊張や不安を解いたに違いない。そのかいあってかISSに到着したキキナ飛行士は喜びを爆発させた。

キキナ飛行士のクルードラゴン搭乗に先立って、9月にはNASAのフランク・ルビオ飛行士がソユーズ宇宙船でISSに到着した。こうして米ロの宇宙飛行士が相互の宇宙船に搭乗することは、ISSの運用にとって非常に重要なことと、若田飛行士は7月末に行われた会見で語っている。「2003年に米国のスペースシャトル・コロンビア号事故が起きたときもISSは運用を継続できました。それはロシアのソユーズ宇宙船が飛行を続けていたから」と。一つの宇宙船が飛行を中断しても、ほかの宇宙船があればISSは無人にはならない。ISSが20年以上にわたり中断なく宇宙飛行士が滞在を続けていられるのは、宇宙での国際協力が確固として続いていることの証でもある。

10月6日午前1時、若田飛行士らCrew-5を乗せたクルードラゴンがリフトオフ!(提供:NASA)

2014年、若田飛行士がISS船長を担っているときも、地上では困難な状況があり若田船長は難しい舵取りを担うことになった。しかし、「『地球にいないのは私たち6人だけだよね』という共同体意識が芽生えた。『色々な情報に惑わされることなく、自分たちにできることをきちんとやっていこう』と話し合った」という。地上で様々な問題がある今こそ「世界の人たちが協力して平和な社会を築くことが重要とISSで示すことができる」と若田さんは考えている。そして注目すべきは、日本が宇宙での国際協力の中に入っていること。日本が(国際協力の実現に)プレゼンスを発揮できる現場であると若田さんは力を込める。

2014年、若田飛行士はISS船長を担った。対話を大切にし、「和のリーダーシップ」を実現した。(提供:NASA)

会見では毎回、世界情勢について問われるが、若田さんの回答は決まっている。「自分たちにできることとできないことを切り分けて、できることに全力を尽くす。それは世界の宇宙飛行士が協力して安全にISSの成果を出し、有人宇宙活動を進展させること」。「情報に惑わされない」。宇宙に限らず、日常生活のあらゆる場面でいかしたい考え方だ。

NASA管理職、JAXA理事を経てなぜ「宇宙の現場」へ?

2000年10月、2回目の宇宙飛行でISSの建設作業を行う若田飛行士(右)(提供:NASA)

「日本人初のミッションスペシャリスト(ロボットアーム操作や船外活動ができるNASA宇宙飛行士。若田さん以前の日本人飛行士は宇宙実験専門だった)」、「日本人初のISS長期滞在」、「日本人初のISS船長」。若田さんの肩書には「日本人初」が並ぶ。そしてNASAでの呼び名は「The Man」(すごいヤツ)。トラブルが発生しどんな難しい状況にあっても、巧みなロボットアーム操作でミッションを成功に導く。その卓越した腕前は、NASAロボットアーム教官として世界の宇宙飛行士を指導する役割を担うほどだ。

若田飛行士は1992年4月に宇宙飛行士候補者に選ばれ、1996年1月に初飛行している。候補者に選ばれてから4年弱での飛行は、JAXA宇宙飛行士の中で最速。訓練中からそのずば抜けた技量が高く評価されていた。例えば訓練で必須のジェット機操縦訓練では、外の景色が見えないように窓をカバーで覆い、計器だけを頼りに飛行する計器飛行を重ねた。これは操縦を担うパイロット宇宙飛行士だけに課される高度な訓練だ。「すごい奴がいる」と教官や技術者の間で評判になった。

2000年の2度目の飛行ではISSにロボットアームで機器をドッキングさせる大役を担った。だが、トラブルでテレビカメラの映像の一部が使えない状態に。その状況で作業を成功させた。この時からNASAで「The Man」という呼び名が定着したようだ。

2000年10月、宇宙飛行士が長期滞在を始める前のISSを飛ぶ若田飛行士。(提供:NASA)

2009年には日本人初のISS長期滞在。3人態勢から6人態勢にするために太陽電池パドルの取り付けや「水再生装置」の稼働など多数の仕事が待っていた。この長期滞在は若田さんにとって「強烈な体験」であり「今までにない厳しい仕事だった」と滞在後の会見で語った言葉が印象に残っている。

到着直後の2か月は、予想以上の激務であり「3人で大きいISSを運用していくのは大変。スペースシャトルは最長2週間の飛行中にやるべき作業は身体にたたき込ませてから飛行するが、長期滞在ではそうはいかない。訓練していない作業が次から次に出てくる」。若田さんは休み返上で仕事をし、コマンダーの指示で休日をとったのは、ISS到着3週間後のことだった。ISS長期滞在はよくマラソンに例えられる。ペース配分が重要だ。しかし、真面目で責任感の強い若田飛行士は短距離走のペースでマラソンを走ろうとしていたのだ。その後はペースをつかみ、長期滞在を終え帰還した直後の記者会見に颯爽と歩いて登場、記者を驚かせた。そしてこのISS初滞在で先輩コマンダーたちから、宇宙長期滞在のコツやリーダーシップについて多くを学んだ。

2009年5月、尿から飲料水を作る水再生装置の稼働に成功!「ISSがミニ地球だと実感します」(若田さん)、この後ISSは6人態勢に。(提供:NASA)

意外なことに若田飛行士が「宇宙飛行以上に厳しい経験だった」と語るのは地上でのマネジメント職だ。3度目の飛行から帰還後、NASAマネジメント(宇宙飛行士室宇宙ステーション運用部門長)に任命される。世界各国の担当者と交渉や調整を行い、ISSの宇宙飛行士を支援する仕事だ。ISS滞在中や訓練中の宇宙飛行士、そしてISSの運用を支える技術者たちから日々、さまざまな問題が上がってくる。たとえば貨物便が打ち上げ延期になり、宇宙飛行士にとって大切な食料をいつ、どの代替手段で運ぶかといった問題など。連日のように会議が続き、調整に次ぐ調整に追われた。だが、この仕事は若田飛行士自身が「次は船長を目指したい。そのための養成計画を考えて欲しい」とJAXA訓練担当に相談した結果、実現したと聞く。

4度目の宇宙飛行で念願のISS船長を担った後は、JAXA理事も経験している。毎回、「これが最後」というつもりで臨んだ宇宙飛行。管理職後に再び宇宙の「現場」に戻ったのはなぜか。ISSは今、変化の節目にある。ISSの寿命は永遠ではない。その寿命が来る前にISSが飛ぶ地球低軌道の活動は民間に移していく。一方、プロ宇宙飛行士たちは月を目指す。その現場に立ち、日本の技術力とリーダーシップを示し月探査に繋げたい。日本の有人宇宙探査を途切れることなく発展させたいという、強い意志があったのではないだろうか。

ISSの展望室キューポラから地球や宇宙を眺める。(提供:NASA)

若田さんに何度もお話を聞いた中で印象的な言葉がいくつもある。「苦しい時が伸びるとき」。環境に慣れてしまったら進化は止まる。あえて自分を厳しい状況に置くことで成長できるという、若田さんらしい言葉だ。でも忘れられないのは「人生は楽しく」という言葉。「短い人生の中で出会える人は限られている。縁あって出会った人との一瞬を全力で楽しみたい」。

若田さんが「思いやり」をミッションのスローガンに上げている背景がここにあるのかもしれない。「仲間がどんな作業をしているか、負荷が高くなりすぎていないか気を配る。閉鎖環境だからこそ冗談を言い合って、笑いを絶やさないように過ごしていきたい」。宇宙という現場で、仲間たちとの一瞬を思いきり楽しんでほしい。私たちも若田さんがツイートする地球の美しい写真を見ながら、今日この一瞬を全力で過ごすよう努めましょう。

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