最もホットな医学課題—宇宙で血栓発見、遠隔治療実施!
上の画像は、ISS(国際宇宙ステーション)から10月25日に撮影されたオーロラとレモン彗星だ。地上から見上げるオーロラや彗星を、宇宙からは見下ろすことになる。こんな絶景を、ぜひ生きているうちに体験してみたいものだ。そう、宇宙旅行で。
宇宙に行くには、どれくらい健康でなければいけないのか? そして宇宙に長く滞在するうちに、約10倍で進むとも言われる骨量の減少などの老化現象をどうやって防ぐのか。現在、地球低軌道を飛行するISSを超えて月に再び人類が訪れ、いずれ月に社会を築くという目標が掲げられている。そんな時代のために、月で作物を育てる月面農場や、月に快適に住むための家について研究開発が進められている。
それら研究開発の最前線を、約半年間にわたってがっつり取材した本(「宇宙でヒトは住めるのか」ちくまプリマ―新書)を来年1月に発売させて頂く予定だが、本で詳しく紹介しきれなかったホットな話題をここでは紹介したい。
それは、宇宙飛行中の宇宙飛行士の首の静脈に、血栓が発見されたという話題だ。
血栓について詳しく紹介する前に、これまでの医学課題を振り返っておこう。宇宙に行って無重力状態の環境で暮らすうちに様々な変化が起こってくることは、過去約半世紀の宇宙飛行の蓄積でわかってきた。たとえば、地上で足のほうにあった血液が上半身に移動することによっておこるムーンフェイス(顔がお月さまのように丸くなること)、宇宙到着後の約7割がかかるとされる「宇宙酔い」。また、カルシウムなどが骨から溶け出していき、骨粗しょう症患者の約10倍の早さで進んだり、筋肉が衰えたりなどの症状が報告されている。だが、骨や筋肉の衰えといった課題は、運動などの対処でかなりクリアされてきたと言える。だが、今、新たな医学的課題が浮上している。
その一つが、「眼の変化」。2016年にDSPACEでこの話題を紹介した際は、宇宙飛行士の約半数に視力の変化があると書いたが、その後の状況について改めて日本大学の岩崎賢一教授に取材したところ、「長期宇宙滞在している宇宙飛行士はほぼ全員に何かしら眼の変化があってもおかしくない」とのこと。ただし、眼に変化があっても、本人に自覚症状がない場合がほとんどだという。その原因は詳しくわかっておらず、さまざまな実験が進行中だ。
2025年にISSに滞在した大西卓哉飛行士は2016年の初飛行の時は見え方に変化はなかったが、2回目の飛行では近くが見えにくくなったとXに投稿している。どうやら見え方は年齢や眼球の構造、人種差など様々な要因が関係するらしい。このあたりは、大西飛行士や岩崎教授にじっくり伺ったお話も含めて本に詳しく書いたので、ぜひご一読を。
即座に行われた血栓の遠隔治療
眼の変化が初めて論文として発表されたのは2011年だった。そして2019年の論文で、宇宙で初めての症例が発表された。宇宙到着後約50日目のある宇宙飛行士の静脈に血栓(血の塊)が発見されたのだ。この宇宙飛行士を含む11人は別の医学実験に参加中だったが、たまたま首の超音波検査中にある宇宙飛行士にだけ、血栓が発見されたという。ただし本人に自覚症状はまったくなかった。血栓は、地上の二人の放射線科医によって確認された。
「人類は50年以上にわたり宇宙飛行を行ってきたが、我々の知る限り、宇宙飛行中の静脈血栓症の発見はこれが初めてである」「偶然発見されたことを考慮すると、これまでの宇宙飛行でも(中略)血栓が発生していた可能性は十分にある」論文の著者であるKarina Marshall-Goebel博士はそう記している。
血栓が発見されたことが公になっているのは、これまで一人だけ。だが血栓は剥がれて血液中を移動する。万が一、肺の血管をふさいでしまえば、急性の息切れや胸の痛みが起こる可能性があり、最悪の場合は命にもかかわる。そのため、血栓症と診断された24時間後には、この宇宙飛行士に緊急の遠隔治療が行われることになった。
先日の目の検査と並んで、長期滞在中にどんどんスキルが向上するのが超音波検査です。
— 大西卓哉 (JAXA宇宙飛行士)Takuya Onishi (@Astro_Onishi) June 13, 2025
今日は首の血管を検査しましたが、もう3回目なので自分でもスイスイと必要な血管を見つけられます。
あと、地上ではジェルを塗って検査すると思いますが、ISSでは水で事足ります。勝手に纏わりついてくれます。 pic.twitter.com/rjwltrcenH
通常、このようなケースでは、血液が固まるのを防ぐ飲み薬が処方される。ISSにはメディカルキットと呼ばれる薬箱が用意され、宇宙飛行士チームにはクルー・メディカル・オフィサーという医療担当者がいて簡単な怪我の縫合や、心臓マッサージ、歯の抜歯の訓練まで受けていく。だが、宇宙での血栓症は想定されていなかった。
ISSにあった血液凝固を防ぐ薬は飲み薬でなく、注射タイプだった。急遽、地上から飲み薬タイプの血液凝固剤が打ち上げられることになったが、それが届くまで40日以上、皮下注射が続けられた。同時に血栓の大きさや血流について、7~12日間隔で超音波検査が行われた。血栓は徐々に小さくなっていったものの、自然な血流はなかなか回復しなかった。
着陸4日前に薬の服用は中止。着陸後の検査では自然な血流が回復、着陸24時間後には小さな血栓は認められたが、着陸10日後に血栓は消えていた。約半年後の追跡検査でも、宇宙飛行士は無症状のままだった。予期せぬ症状に対して限られた治療薬の中、地上からの遠隔医療が正しく機能した結果だと言える。
宇宙でなぜ血栓ができたのか。そして自然な血流がなかなか回復しなかったのか。実験では11人のうち6人の宇宙飛行士の首の静脈がよどんだ状態だったり、逆流したりしていることが発見されたという。そして、短時間の無重力実験でも首の静脈の血流が悪い人が確認されている。地上では頭にある血液が首を通って心臓に戻ってくるのは重力によるところが大きいが、無重力状態では重力が働かないことと関係しているのかもしれない。そして眼の変化と関係はあるのか。宇宙飛行士たちには宇宙飛行中に首の超音波検査が新たに加わるとともに、血液を良くするためビタミンBをとる実験に参加する人もいる。
民間宇宙飛行や将来の火星探査ミッションに向けて、解決すべき重要な医学的課題であると論文の著者は結んでいる。NASAは2024年10月、宇宙飛行中の静脈血栓症のリスク軽減を目的としたワーキンググループを立ち上げた。地球の重力下で長年進化してきた地球生物にとって、宇宙での体の変化はまだまだ分からない点が多い。だが、これまで骨量の減少や筋肉の衰えなどの課題を乗り越えてきたように、この新たな課題を克服すべく、宇宙医学関係者らは協力しながらさまざまな研究開発を続けている。私たちがいつか、安心して宇宙を旅するためにもその動向に注目したい。
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