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読む宇宙旅行

2011年8月 vol.01

宇宙開発転換期にデビュー。強く心優しいサメ(鮫)
—油井亀美也JAXA新宇宙飛行士に聞く

油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士。1970年長野県生まれ。1992年3月防衛大学校卒、同年4月、航空自衛隊入隊。テストパイロット時代には性能の限界を試す飛行も行い「生きて帰れてよかった」という極限状態を経験した。2009年2月にA宇宙飛行士候補者に選抜され、同年4月からISS搭乗宇宙飛行士候補者基 礎訓練に参加。

油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士。1970年長野県生まれ。1992年3月防衛大学校卒、同年4月、航空自衛隊入隊。テストパイロット時代には性能の限界を試す飛行も行い「生きて帰れてよかった」という極限状態を経験している。2009年2月に宇宙飛行士候補者に選抜され、同年4月からISS搭乗宇宙飛行士候補者基 礎訓練に参加。

 右の写真はNASAでの訓練を終え2011年7月末に正式に宇宙飛行士として任命された油井亀美也(ゆいきみや)宇宙飛行士だ。指さしているのは、NASA宇宙飛行士候補生2009クラス14名で作ったワッペン。よ〜く見ると、地球から月、火星を目指し、天にはオリオン座が描かれている。彼らが訓練を始めた2009年、NASAはオリオン宇宙船を使い、有人月探査をめざす「コンステレーション計画」を進めていた。だが訓練中に計画はキャンセルされた。彼らはそんな「宇宙開発の転換期」にデビューしたのだ。

 「計画キャンセルは最悪のタイミングで伝えられました」と油井さんは言った。訓練カリキュラムには月探査のための講義や実地研修が組み込まれていた。「実際に月に行った宇宙飛行士や、月に彼らを送り込んだ地質学者や技術者たちが授業で『私は断言する。このクラスから月に立つ人が出る!』と言ってくれて『よっしゃ!がんばるぞ』と」やる気が最高潮に達しアリゾナ州で地質学の研修に臨んだ。「これは面白い!と思いましたね。月を知ることで太陽系全体の歴史がわかる。絶対に役に立つから勉強しなきゃ」と決意した帰りのバスで「公式にキャンセルされたらしい」というニュースが訓練生達に伝わったのだ。

 「クラスには米軍のテストパイロットが3人いて、国際宇宙ステーション滞在後にはオリオン宇宙船の開発に携わり、実際に自分たちが操縦できると考えていたと思います。彼らは大きなショックを受けていたし私も正直言ってがっかりしました」と油井さんは言う。だが彼らがすごいのは気持ちの切り替え方。「まだ変更の余地があるかもしれない。きっとこの知識を使う機会があると高いモチベーションを維持して訓練を続けたのです。」彼らの考え方は常に積極的だった。その影響を受け、油井さんも気持ちを積極的な方向に切り替えていくことができたという。

 では航空自衛隊で戦闘機パイロットやテストパイロット訓練を受けてきた油井さんは、NASA訓練をどう感じたのか。驚いたのは「被教育者に対して教官がすごく多いこと。世界最高の知識と技量をもつ数百人もの専門家が、14人の候補者に対して『立派な宇宙飛行士にしてやる』という意気込みで訓練にあたる。『世界最高の訓練』と実感した」という。

 訓練内容については「求められる資質や訓練のプロセス、評価項目など特にテストパイロットと共通点が多かった」と振り返る。たとえば評価項目では「状況判断がまず重要で、次に重視されるのがSFRM(スペースフライトリソースマネジメント)。宇宙飛行士の能力をリソース(資源)と捉え、メンバーの資源を最大限に出しチームでミッションを達成することです」。SFRMについては心理学者や元パイロットなどの専門家が宇宙や飛行機での失敗事例、成功事例について講義した後に、簡単なボードゲームで実習したりしたそうだ。

宇宙飛行士に認定された3人の日本人宇宙飛行士達。左から大西卓哉さん、油井亀美也さん。金井宣茂さん。金井さんは遅れて訓練に参加したが驚異的な粘りを見せて追いついた。3人はNASAから高い評価を受けている。

宇宙飛行士に認定された3人の日本人宇宙飛行士達。左から大西卓哉さん、油井亀美也さん。金井宣茂さん。金井さんは遅れて訓練に参加したが驚異的な粘りを見せて追いついた。3人はNASAから高い評価を受けている。

 パイロットとして馴染みのある訓練も多かったが苦労したのは船外活動と語学。「船外活動訓練は体力的にきつかった。約6時間、無重力を模擬したプールの中で模擬宇宙服を着用し、スーツ内外の気圧差でパンパンになったグローブで移動・作業するので強い腕力と握力が必要です。疲れると判断能力も落ちて他の人が何をやっているかもわからない。NASAやJAXAの先輩宇宙飛行士にも相談したら最初は誰でもそうだよと慰められました(笑)」。

 語学については「文化の問題かもしれない。英語の冗談がわからず笑えなかったのがショックだった。何とかとけ込んで仲間として団結したいとき、笑いが基本かなと思った。自衛隊はミッション中に笑いというより怒鳴り声が飛ぶ世界。雰囲気が違う」そんなとき、米軍パイロット出身の仲間が冗談の意味を教えてくれた。自分はライバル意識で臨んでいたのに、困ったとき手をさしのべてくれる彼らの素晴らしさにふれ、心からの友達になったという。

 事前に送った質問用紙にびっしり鉛筆で回答を書き込み、たくさんの質問に真摯に答えて下さった油井さん。だが東日本大震災のことにふれたとき、表情が変わった。油井さんは自衛隊勤務時代に宮城県の松島基地で1年間訓練を受けていた。

 震災後にJAXAが出した油井さんのメッセージに心がこもっていたと伝えると「本当に好きだったんです。あの街が。釣り好きで漁船にも乗りましたが漁港も街の人もいい人がいっぱいで・・」と口ごもり唇が震えたように見えた。こちらのほうが動揺して「自衛隊で同僚だった方も現地に行かれたんですよね」というと頷きながら「あのとき、アメリカで訓練を受けていて何もできず、本当に申し訳なかった。自衛隊にいれば何かできたかもしれないと思いましたが、自分にはやるべき事があると考え、一生懸命訓練に取り組みました。」被災地の方々や自衛隊など、多くの人々が頑張っている姿に勇気づけられたという。

 油井さんはクラスの中でサメ(鮫)と呼び名が付けられるほど強くタフな方だ。「きつい道と簡単な道があったらきつい道を選べば後悔しない」と自分を律し高めてきた。そんな油井さんの原動力には大切な人を思う「優しさ」があった。