• DSPACEトップページ
  • DSPACEコンテンツメニュー

星空の散歩道

2010年6月18日 vol.55

おかえりなさい、はやぶさ探査機

 「天の川 ふりさけみれば はやぶさの 散りゆく姿 美しきかな」

 すでにご存じのように、日本の小惑星探査機はやぶさが帰ってきた。6月13日深夜、小惑星イトカワから採取した(はずの)サンプルを収めたカプセルを切り離し、本体もオーストラリア南部の大気圏に突入したのである。2003年5月に鹿児島県内之浦から打ち上げられて、実に7年ぶりの帰還であった。はやぶさ探査機の道のりは苦難の連続であった。もともと工学実験衛星であるため、さまざまな段階で革新的なチャレンジが想定されていた。イオンエンジンというまったく新しいタイプの推進方式の採用、世界初の小惑星への離着陸、サンプル採取、そしてカプセル切り離しの上、地球への帰還・大気圏再突入。計画そのものの多くがチャレンジであった、といっていいだろう。

オーストラリアに落下するカプセル(小さな光点)と、ばらばらになって輝くはやぶさ本体(撮影・提供 大川拓也氏)

オーストラリアに落下するカプセル(小さな光点)と、ばらばらになって輝くはやぶさ本体(撮影・提供 大川拓也氏)

 そして、実際、チャレンジの途中で様々なトラブルが多発した。固体ロケットであるM-V型での打ち上げそのものは順調だったものの、イオンエンジン一基が不安定動作を起こした。秋には大規模な太陽フレアに遭遇、目標の小惑星イトカワ到着前にはリアクションホイール一基が故障し、残りの二基で乗り越えていたが、イトカワへの観測を始めるや、もう一基が故障し、姿勢制御を化学エンジンで補いつつ、観測を続行した。イトカワを周回しながら、搭載していた4種類の観測機器によって、イトカワの形状や地形、表面高度、反射率、鉱物組成、重力など様々な観点で観測した。

 そして、着陸リハーサルの後、2005年11月20日には、88万人の名前を載せたターゲットマーカーを分離し、それを目標としてイトカワに着陸。約30分ほど表面にとどまったが、受信局の切り替えで信号が受信できず、着陸の事実を確認できいまま、不審に思った管制室からの緊急指令によって上昇、離陸した。小惑星の着陸離陸は世界初の快挙である。このとき、サンプル採取のための弾丸は発射されなかったが、着陸の衝撃でイトカワの埃が舞い上がり、回収された可能性がある。これがイトカワのものならば、小惑星からの試料採取に世界で初めて成功したことになる。11月26日には2回目のタッチダウンに成功し、1秒間着陸し、即座に離陸した。そこから、姿勢制御用の燃料ヒドラジンが漏洩し、姿勢制御が乱れ、通信が途絶した。姿勢が乱れれば、通信に使うアンテナが地球に向かなくなるのである。化学エンジンは使えなくなり、もはや終わりかと思われた。しかし、どのように回転していても、ほんの一瞬、アンテナが地球に向くことはある。そこで、長野県臼田にある64mパラボラアンテナは、そのわずかな希望を捨てず、じっとアンテナをはやぶさがいるであろう方向にアンテナを向け続けたのである。そして、はやぶさからの微かな返事を捉えたのが約一ヶ月後。アンテナ運用担当スタッフの強い忍耐が奇跡の生還を支えた (下記参照)。

 そして、緊急の姿勢制御としてイオンエンジンの推進剤であるキセノンガスの直接噴射方式を成功させ、地球への帰還を3年ほど遅らせて、2010年に延期することに決定したのである。この間、イオンエンジンのガスの消費を抑えるため、太陽光圧を利用したスピン安定状態での運用に切り替えたり、イオンエンジンがすべて不具合になるなど満身創痍の状況にありながら、故障箇所の異なる二つを組み合わせ起死回生をはかる技術陣の必死の努力の末、地球への帰還軌道に無事、乗ったのである。

はやぶさ探査機の大気圏再突入で、幸運なことがふたつあった。ひとつは時期が深夜の時間帯であったことである。カプセルも本体も、大気圏再突入によって、厚い大気との摩擦によって高温となり、明るく光る。言ってみれば、巨大な人工流星になるのである。これは、私のような流星を研究している者にとっては、格好の研究材料である。というのも、流星は通常、組成も構造もわからないために、光り方から推定せざるを得ない。人工物は、組成も構造もわかっているから、それがどんな現象を引き起こすかを見ることで、逆に天然自然の流星の構造や組成を解く鍵が得られる。

 もうひとつ幸運だったのは、再突入時期がちょうど新月期であったことだ。つまり月明かりが全くない条件である。オーストラリアのアウトバックで、新月期となれば、日本ではもう滅多にお目にかかれない満天の星空に出会える。まぶしいほどの中天にかかる天の川は、その明かりで影をつくる。かなりの天文ファンでも見た経験が少ない黄道光や対日照といった現象も見られるのだ。

 実際、われわれが拠点としたクーバー・ペディは、その夜、完璧とも言える快晴に恵まれた。5時間前にセッティングを終え、星明かりの中ではやぶさを待った。中天には南十字がくっきりと輝き、車のボンネットには天の川が映えている。まぶしかった金星も、地平線に近づくにつれ、まるでカクテルライトのように緑、青、赤、オレンジ、黄色と秒単位で色を変えながら沈んでいく。東の地平線からは、はくちょう座が上ってきて、天の川沿いに、北十字(はくちょう座)から南十字までが輝く。銀河鉄道の夜の始発から終着駅まで一望できる。そんな中、次第に予定時刻が近づくと、緊張が高まってきた。10分前からカウントを始める。5分前、3分前。。。そして、23時21分。突入時刻1分ほど前には、みな無言でシャッターを切りはじめた。

 22分を過ぎた頃だろうか。南西の空にオレンジ色の光点が出現した。

 「来た! 来たぞー!」

 「おお、明るい!」

 「すごい! 予定通りだ。」

 深夜のオーストラリアの静寂の夜に、歓声とシャッター音とが響き渡る。私は必死に、ばらばらになりながら輝くはやぶさ探査機本体に先行するカプセルを注視した。カプセルの切り離しは、地球大気圏再突入のわずか3時間前であった。そのため、カプセルと本体との距離は、それほど離れていない。両方がほとんど同時に大気圏に突入してくるのである。そのため、万が一、本体の破片が減速する先行のカプセルに衝突したりすると、たいへんなことになるのである。

 「当たるなよ、当たるなよ!」

 知らず知らずのうちに、私はそう叫んでいた。幸いにも、本体は何度か激しく発光し、分裂をして、粉々になった破片は、後方へと遅れていった。そのため、カプセルにまで近づく破片はひとつもなかった。実に見事な技であった。そして、高度が低くなるや、本体は雲散霧消し、カプセルもダークフライト(発光せずに大気圏を飛行し続けること)に入って、消えていった。まるで何事もなかったようにオーストラリアの夜空には再び、満天の星だけが輝いていた。

 こうして、役目を終えたはやぶさ探査機は消えていった。はやぶさ探査機が残してくれた新しい宇宙工学技術の蓄積、そして小惑星の新しい知見は限りなく大きい。それよりも何よりも、様々な困難を乗り越え、ここまでたどり着いた探査機と、それを支えたはやぶさチームが、日本国民にもたらしてくれた感動は何者にも代え難い。7年間60億キロメートルの長旅を経て、美しく散っていったはやぶさ探査機に、おかえりなさい、と声をかけたのは私だけではあるまい。