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ライター 林 公代 Kimiyo Hayashiライター 林 公代 Kimiyo Hayashi

小澤征爾さん指揮、オーケストラ生演奏を宇宙の若田さんへ—史上初実現の舞台裏

ISSの若田飛行士に向けてオーケストラを指揮する小澤征爾氏。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /山田毅)

2022年11月23日、世界的に活躍するマエストロ、小澤征爾さんが指揮するオーケストラの生演奏が史上初めて、ライブ配信で宇宙に届けられた。国際宇宙ステーション(ISS)滞在中の若田光一飛行士が、「KIBO宇宙放送局」の双方向システムを使うことによって、長野県松本市で演奏する小澤征爾さんとサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)のコンサートをリアルタイムで堪能。宇宙へのオーケストラ演奏のライブ配信が実現したのは、世界で初めてだ。

曲目はベートーヴェンの「エグモント序曲」。弦楽器などによる重低音の響きから始まりオーボエやクラリネットの独奏へ。重々しく暗い雰囲気から、徐々にテンポが加速し明るい曲調に変化していく。フィナーレではトランペットが鳴り響き、希望と決意を感じさせる。小澤征爾さんは車いすに座り、時おり涙を拭いながら渾身の指揮。小澤さんが「音楽の家族」と呼ぶSKOと奏でる唯一無二のハーモニーが大気圏を超えて、宇宙空間に鳴り響いた。

ISS滞在中の若田さんは、史上初のオーケストラ生演奏を堪能した。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION)

無重力状態で浮かびながら、オーケストラの生演奏を堪能した若田さんは「小澤征爾さんの指揮で心が揺さぶられる演奏を、宇宙という特等席で聞くことができて興奮がおさまりません。小澤征爾さんが力強く指揮する姿に、地球を一つにするエネルギーを感じました。素晴らしいハーモニーをありがとうございました」と、小澤征爾さんらに直接感想を伝えた。

宇宙からお礼を伝える若田さんに、小澤征爾さんからも「ありがとう」の言葉が贈られた。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /大窪道治)

小澤征爾さんがSKOを指揮するのは4年ぶりだ。実は4年前の12月5日、小澤さんが指揮するSKOのコンサート(ドイツ・グラモフォン創立120周年Special Gala Concert。天皇・皇后両陛下もご臨席だった)を私は東京・サントリーホールで聴いていた。その時は、まさか4年後に彼らの生演奏が宇宙に届けられる日が訪れるとは、想像もしていなかった。

宇宙に高品質なオーケストラ生演奏を届ける技術

史上初の宇宙へのオーケストラ生配信、具体的には小澤征爾さんが指揮するSKOの音と映像をリアルタイムで宇宙に届け、若田さんが宇宙でコンサートを楽しめるようにするには、技術的に高いハードルがあった。ISSで宇宙飛行士が活動する映像は地上に届く一方、実は地上から音声以外の情報をリアルタイムで届けるのは非常に難しい。例えば、宇宙飛行士と地上を結ぶ記者会見や、地方自治体等で行われるリアルタイムの交信イベントでは、地上からの映像は届いていない。つまり、これまでの通信は圧倒的に「宇宙」から「地上」のワンウェイだったのだ。

その問題を解決したのがJAXAとバスキュールが共同で開発した「KIBO宇宙放送局」だ。ISSの日本実験棟「きぼう」に宇宙と地上をつなぐ放送局を開設、2020年8月には世界初の宇宙との双方向ライブ配信を実現。その後、年越しで「宇宙からの初日の出」をライブ配信するなど、画期的な番組を次々世に送り出している。

双方向ライブ配信を実現するにあたり大きな課題となったのは、地球から宇宙への回線が驚くほど細いこと。その制約の中で動きのある映像や、高品質な音をいかに遅延なく効率的に宇宙に届けられるか。バスキュールは通信プロトコルやアプリケーションなどの独自システムを工夫して作り上げた。

オーケストラの迫力ある音をそのまま宇宙に届けるには技術的なハードルがあった。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /大窪道治)

バスキュール、テクニカルディレクターの武田誠也さんによると、今回、オーケストラの音をそのまま宇宙に届けるために、工夫したのは特に音質に重きを置いたチューニング。「例えば、電話やzoomのようなビデオ通話で、オーケストラの音を流したとしても、人間の声の周波数(1000Hz)に近い音を中心に高音や低音をカットするようなデータ圧縮をしています。でも今回は楽器の低音域から高音域に至る音域を幅広く入れることで、音の迫力をそのまま伝えるようにしました」。

最大のプレッシャーは宇宙に確実に音と映像を届けること。もしかしたら、世界的な指揮者である小澤征爾さんにとって、今回の演奏がそのキャリアを締めくくる最後の指揮として後世に残るかもしれない。その演奏を途切れることなく、最高の状態で宇宙に届けなければならない。通信トラブルや機材トラブルで宇宙に音が届かないことは許されない。様々な制約がある中で、綱渡りの状況でも成功できたのは、「KIBO宇宙放送局」で鍛えられた過去の実績があったからだろう。

SKOは故・齋藤秀雄氏の教え子だった小澤征爾氏の発案により、門下生約100名が1984年にメモリアルコンサートを開催したことが基礎となり発足。1992年、長野県松本市をSKOの本拠地とした。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /大窪道治)

本番でタクトを振りながら感極まるマエストロ。演奏を聴く若田さんの穏かな表情から、明らかに音がよく聞こえている様子が武田さんたちに伝わったという。「言葉だけでは伝えられない想いが伝わって、舞台裏の私たちも終始もらい泣きしていました」と長野県松本市の現場にいたバスキュール・プロデューサーの南郷瑠碧子さんは語る。

SKOの一人、ヴァイオリニストの島田真千子さんは演奏後、「若田さんはミッションでハーモニーを大事にしていると聞いた。私たちも全員の心が一つになって、音とともに共鳴する感動的な瞬間だった。それを宇宙に届けられて素晴らしい機会でした」と語っている(小澤征爾 Seiji Ozawa 公式チャンネル(欄外リンク)参照)。

毛利飛行士の宇宙飛行から30年、SKOが松本で音楽祭を始めてから30年

「One Earth Mission‐Unite with Music」演奏の場で語り合う、SKO代表で小澤征爾氏の長女である小澤征良さん(左)と毛利衛氏。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /大窪道治)

この前代未聞の企画「One Earth Mission‐Unite with Music」はどのように始まったのか。小澤征爾さんの長女でSKO代表を務める小澤征良さんと毛利衛さんの対談(欄外リンクOne Earth Missionウェブサイト参照)でその経緯が語られている。

3年ほど前、ISSが夜空を通ることを知った小澤征良さんは、息子さんとISSを探した。力強く速い速度で駆け抜けるISSの姿。新型コロナウイルス感染などで世界中が閉塞感に覆われ、悲しいことや苦しいことがあるけれど、「宇宙から地球はどう見えるんだろう」と想像することによって、違う視点で毎日を見ることができた。気持ちがふわっと広がって、息がしやすくなったという。一方、60年以上音楽活動を続けてきた小澤征爾氏は「音楽は言葉も国も宗教も政治も超えて、人と人との心を直接つなぐことができる」という信念をもつ。ISSでその音楽を聴きながら、地球をみたらどんな気持ちになるだろう。そう思った征良さんは毛利氏にメールを送ったという。

そしてJAXAの協力を得て、この企画が実現することになった。奇しくも2022年は毛利衛氏がJAXA宇宙飛行士として初めて宇宙に飛んでから30年。毛利飛行士の初飛行後、宇宙の国際協力のシンボルであるISSが建設され、若田飛行士らが多彩な宇宙活動を行っている。そしてサイトウ・キネン・オーケストラにとっても松本で初めて音楽祭を開いてから30年となる節目の年でもある。

音楽が大気圏を超え、宇宙の若田さんと共鳴した。(提供:小澤征爾/SKOxJAXA ONE EARTH MISSION /大窪道治)

宇宙で「和の心=ハーモニー」を大切に、地球人が協力して人類に貢献することを示す若田飛行士と、言葉や人種などあらゆる違いを超えて人の心をつなぐ音楽を奏でる小澤征爾氏+SKO。その両者が大気圏を超えて共鳴しあった。

小澤征爾氏は「たくさんの大人たち、子供たちが苦しみ、悲しんでいます(中略)。音楽を通して、僕らは同じ星に住む、同じ人間であることを感じて、みんなで一つになれることを願っています」とコメントしている。

宇宙と地上を繋いだコンサートの様子は、12月1日から小澤征爾 Seiji Ozawa 公式チャンネル(欄外リンク参照)で世界に配信され、誰でも見ることができる。音楽の力によって、そして宇宙を目指し協力することによって、私たちは同じ星に住む仲間として、苦しい状況を乗り越えられる。今、大切なのは分断することでなく、心を通わせハーモニーを奏でること。「12月1日にはJAXAさんとぼくらの音楽を世界中に届けられるということです。その時間を皆さんと分かち合えたら、嬉しいです」(小澤征爾氏)

マエストロの渾身の演奏を、宇宙からの視点とともにより多くの地球人と共有したい。

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