Vol.68
宇宙人類時代のアストロバイオロジー
本コラムは、これまで6年に及びアストロバイオロジーについて書いてきた。
生命はどうやって誕生したのか、この宇宙に我々以外の生命はいるのか、どうやったら地球外生命に出会えるのか—アストロバイオロジーとは、このような純粋な好奇心に答える人類の挑戦であり、学問というよりむしろ視座と呼ぶべきものだと僕は思っている。
視座とはつまり、専門性を高める縦方向の学問の深化ではなく、専門性を横に束ねて全体像を見渡すことがアストロバイオロジーの本質であり特徴だということである。宇宙における生命を考えようと思えば、当然のごとく、物理学、化学、生物学、地学というすべての自然科学の統合を必要とする。
アストロバイオロジー誕生の契機となったのは、火星隕石に見つかった微化石のような有機物である(参照:第1回「アストロバイオロジーという視座」)。これが火星生命の痕跡か否かで大論争が巻き起こり、その帰結として、21世紀初頭にアストロバイオロジーが生まれた。
それから四半世紀が経った今、アストロバイオロジーは確かに期待通り、あるいは期待を上回り進展した。探査機は、火星や氷衛星にいるかもしれない“生命”に迫る発見を次々と報告し、僕もこのコラムでその都度紹介してきた(参照:第34回「エンセラダスと地球のシンクロニシティ」、第58回「パーサヴィアランス、“生命の痕跡”を発見か」)。
一方で現在、アストロバイオロジーを超える規模の学問の統合が急速に進もうとしている。それは人類の宇宙進出に関する宇宙人類学と呼ぶべきものである。人類の宇宙進出は、経済や資源、安全保障などの面から語られることが多い。アストロバイオロジーのような純粋な好奇心による挑戦とは、その動機において趣を異にする。
急激に進もうとする人類の宇宙進出、そして月や火星への移住は、アストロバイオロジーにどんな波紋を広げるのだろうか。今回のコラムでは、このような今後の四半世紀でやってくるであろう宇宙人類時代に、アストロバイオロジーが進む道について考えてみたい。
現存生命発見の夢
1つ、人類が宇宙に進出して火星で居住することで、アストロバイオロジーにおいて、確実に大きく後押しされるであろうことがある。
それは、火星における現存生命の発見の可能性である。現存生命とは、太古の生命の痕跡ではなく、今なお火星のどこかに生きているかもしれない生きた生命のことである。
ではなぜ、人類が火星に到達することが、現存生命の発見を後押しするのか。
現存生命の強みは、その生命活動—代謝や複製など—をこの目で直に観察できる点にある。生命の痕跡では不可能な、生物学的な手法で現存生命を調べることができ、その点で誰の眼にも明らかな生命の証拠を提示することができる。そして、そのためにはその生命が実験室でも生きられるように培養することが求められる。
しかし、地球上の微生物でさえ、深海底や地下などの極限環境で暮らす生命を培養することは極めて難しい。酸素や温度、土壌、水組成など、あらゆる要素を実際に近づけたとしても、培養できる深海微生物は全体の1%に満たないといわれる(参照:第49回「目に見えない生命圏—ダーク・バイオスフィア」)。
地球でさえかくのごとしである。火星あるいは氷衛星のサンプルを地球に持ち帰れれば生命が発見できるのではないかというのは、楽観的にすぎる考えなのである。
人類が火星に居住すれば、培養のための試行錯誤の時間はたっぷりとある。生命の生きる環境を詳細に明らかにすることもできる。火星のその場で生命を探索することもできるのである。
普遍的生物学
もう1つの理由—人類の火星移住が火星生命発見を後押しする—は、培養に必要な水を使った化学分析・生物実験が、人が宇宙に行くことで自然と宇宙化されることである。
これまでの探査では、高温に加熱したり、光を使ったりする方法で、有機物や生命の痕跡を探ってきた。一方地上では、有機物や生命に関するほとんどの分析で水が使われる。ウェット・ケミストリーと呼ばれる方法である。水によって有機物を抽出することで、生体分子の情報を生のまま保存しつつ調べるのである。
人類が宇宙に行く場合、当然、液体の水を持っていく、あるいは現地で調達することになる。機械の探査機には水は不必要で、危険でさえあった(急に蒸発爆発したり、精密な機器を濡らして壊したりするため)。この水をふんだんに使えるのが有人探査の特徴であり、この要素は生命発見のための培養にも分析にも必要不可欠である。
それでも火星における現存生命の発見には、途轍もない試行錯誤が必要となるだろう。それは観察に始まり、培養、さらには分析と続く。地球とは環境が異なる火星に棲む生命が、地球生命と同じDNAやタンパク質を使っているとは限らない。むしろ違う物質で、代謝や複製といった生命活動を行っていると考える方が自然であろう(参照:第65回「オルタナティブな火星生命?」)。そこで培った生命発見のノウハウは、エウロパやエンセラダスの探索へと受け継がれるだろう。
現存生命の発見は、太陽系探査において巨大なゴールである。しかし、それは他の学問、たとえば物理学や化学、生物学にとっては、新しい学問の始まりにすぎない。火星やエウロパの生命が、地球生命とどこに共通点があり、何が生命にとって普遍的なものか。それを通じて、生命とは何か、地球生命は何者かということを、僕らは初めて物質科学的に定義できるのである。
人類と宇宙
しかし、なぜ人類の宇宙進出がこれほどまで進もうとしているのか。
その背景の1つには、実はアストロバイオロジーの進展がある。探査が進んだ結果、火星には大量の水が地下氷として蓄えられていることがわかったのである。月でさえ、極域には地下に氷があるといわれる(参照:第37回「月の水をもとめて」)。
火星の地下に大量の氷が発見されたことは、現存する火星生命の可能性と同時に、人類の火星移住を想起させるに十分なインパクトがあった。生命に関していえば、モンゴルの凍土やアタカマ砂漠にも、地球の微生物は強かに生きているのである(参照:第16回「モンゴル宇宙紀行I—融ける凍土と火星基地」)。同時に、この水を資源として、地上の水素化技術を使えば、太陽光や原子力エネルギーにより人々が長期間居住することもできるかもしれない。
水やエネルギーだけではない。人類が地球を離れて月や火星に居住するには、地上の人間に関わるあらゆることを宇宙化する必要がある。医学、スポーツ科学、建築学、社会学、経済学、法律などもこれに含まれる。宇宙化とは、単に低重力でそれを行うという技術的な問題だけではない。社会学や法律などは、むろん重力と無関係であり、むしろ火星というフロンティアにおいて、人間社会を一から設計できるということに宇宙化の意義価値がある。
どういうことかといえば、17世紀のアメリカが果たした、フロンティアとしての役割を思えばいい。自由、基本的人権といった概念—当時は斬新な—を基軸に据えた国が作られ、それが旧世界ヨーロッパを揺さぶり、市民革命となって次々と引火していった(参照:第37回「月の水をもとめて」)。つまり、我々が、22世紀やその先を生きる上で、基軸とする概念はどうあるべきか、それに基づいた社会や法はどうあるべきかということを、設計し実践できるということである。それは必ず地球の人々の社会、生き方も変えるだろう。
現在の人類の宇宙進出において問われているのは、我々が、単なる現状の延長でない未来をどう描くかということである。エコシステム、勝ち筋、陣取り合戦という言葉がならぶ国主導の宇宙進出だけでは、いつかつまずくことは明白である。そこに産学が連携する真の意義とは、学術界が長期的な未来像を描きつつ、産業界が現実的な近未来にそれをいかに落とし込むか、そのビジョンを共有し、また「共感」するところにあるのではないか。
「共感」する宇宙
さて、人類の宇宙進出とアストロバイオロジーの関係に話を戻す。上で述べたこの「共感」こそ、目的の異なる両者に共通する通奏低音かもしれないということである。
機械である探査機の活躍にさえ僕らが感動するのは、その背後にある科学者の情熱や挑戦への「共感」、あるいは探査機自体の受難と克服、やがて来る活動終了に対して、人生のようなドラマに「共感」するためだろう(参照:第4回「「はやぶさ2」と生命のレシピ」、第27回「火星に天体が衝突した?—インサイトの静かなる活躍」)。決して具体的な科学成果に対して、多くの人々が感動したわけではない。
天文学者のカール・セーガンは、1977年に打ち上げられたボイジャー1号が、太陽系の遥か彼方に到達したとき、最後の写真として振り返って地球を撮影することを提案した(参照:第15回「カール・セーガンと黄金の釘」)。有名な“Pale Blue Dot”である。
科学的には意味のない、1ピクセルにも満たない地球の写真であるが、セーガンは「人類の全ての歴史は、この小さな青い点で起こっている。ここは、我々の唯一の家だ」というメッセージを発した。ボイジャーの科学成果は、その後の探査によって塗り替えられ、当時の成果やデータが今日論ぜられたり、顧みられたりすることはほとんどない。しかし、セーガンのメッセージは今日なお生き、人々を「共感」させて心を打つ。
人類学者のロビン・ダンバーは、ヒトの脳の容積から、お互いに顔が分かり、ある程度気心が知れ、安定的な社会関係を築ける認知的な上限数、つまり共同体の人数上限として150名程度という数を提案した。いわゆるダンバー数である。
一方で人々は、この定常的なダンバー数を遥かに越えて瞬間的に結束し、「共感」し合うことがある。そのことで大きな快楽が得られる。理由はよくわからない。
ダンバー数を越えた人々が結束する共感対象として、「神」そして「宗教」が生み出されたとダンバーはいう。僕の愛する「妖怪」も同様であろう。ある種、セーガンは、1ピクセルに満たない「地球」を、「神」と同じように(極端な言い方をすれば)、共感対象として世界に提示したともいえる。現在では、オリンピックやワールドカップなどのスポーツもこの対象に加わる。そして、最大規模の共感対象として「アポロ11号」の人類月面到達もある(参照:第40回「フォン・ブラウンの火星への夢」)。スポーツと宇宙には、どこか共通性があるのだろう(参照:第53回「スポーツと、宇宙と、生命の進化」)。
生身の人間が、未踏の地を探査し、限界を超えていくことは、探査機ではなし得ない共感対象となるだろう。そして、その人間が、火星で生命を見つければどうであろう。アストロバイオロジーと宇宙人類の掛け算であり、これは実際にそうなるかもしれない。
「共感」はともすれば、プロパガンダとして悪用されうる。そのような最大規模の「共感」となり得るものを安易に進めることが善いことかはわからない。
わからないが、火星に生命を見つけ、地球生命の起源を明らかにし、火星に人類が居住したとき、地上の人々に芽生えるのは、おそらく地球生命、そして地球人としての意識—“We are from Earth”の「共感」なのだろう。
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